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  第1楽章 What’s 田沼街道


さて、相良城主 田沼意次に拠って作られたと言う俗称「田沼街道」は相良から藤枝勝草橋袂まで約7里の道のりを指すが、ここで重要なのが意次本人の為のみで新たに作られた道を指すのではなく、意次の藩主としての領民への産業の発展の為の道路普請であるということである。
 塩田の開発、商業の発展と並び農民の安定した農業の発展・向上に伴うそれまで各村村
間の分裂した里道を1間幅に拡げ小山街道と下街道とを接続して交通の利便性を図った事が最大の業績であった。
 いわずもがな、彼が江戸に帰る為のみにて普請した道路整備ではない。
ちなみに、「上府大名」としての意次がこの道を利用したのは、延べ2回の相良訪問の内
2回目の帰路のみであった。

 領民の為による道路整備に感謝した領民達からは、意次を称え誰ともなく「田沼意次が作った道」と言うことで「田沼街道」と呼ばれるようになった。

 なにより、農地がメインの江戸時代にあって当然現在のように田畑を潰して真っ直ぐ
道路を作る事は不可能な時代故少しでも歩きやすくする為、あるときは大回りをして、またあるときはクランクにぐぐ~と曲がり何でこんなに~と感じる程である。

従って、車社会の現在では無用の長物と化し、ある場所は宅地として建物の下敷きとなったり、拡幅されて車道となったりして当時の面影を残してくれているのは、ほんの数箇所となり、その足跡を辿るのは困難の一字であった

大雑把に言えば、現在の150号線に進化したとの形容もあるが、むしろ現在の相良街道(旧の田沼街道とも称される)がその進化系の表現が近いかも。  第1楽章 What’s 田沼街道_f0212142_5511296.gif  第1楽章 What’s 田沼街道_f0212142_5512738.gif
by micmacbig | 2010-02-09 05:54 | 田沼古道関連
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