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第4楽章 大井川町

   ☆ 大井川町
さて、境川で大井川町に入った古道はしばらくは大人しく相良街道と合流した33号線に並走しているが、
ある意味で一番醍醐味の有った大井川町。一筋縄では行ってくれなかった。
明治12年の群制で遠州榛原郡から志太郡に編入された大井川町は現在焼津市となっている。
その境界を示しているのがここ境川である。
ここに青島史跡保存会の手で標識が建っているが気がついている人は少ない。
33号線と別れ相良街道を西南に進むと、元矢師の平井宅があり、その南側に細いあぜ道を見つける事が出来ます。これが古道でクランクに曲がっていくと横山人形店の所に出ます。
この道は島田方面に通じる島田道となります。
その島田道に沿って左に曲がると相良街道と再び交差点でぶつかり、今度は右に曲がり相良街道を進みます。
すると、右側に細い水路を見つける事ができます。これが高州地区同様の古道となります。

その水路を進むと今では宅地となって通行出来ませんが嘗ての河守惣太夫の屋敷の前に通じます。
今では住宅地となりその面影を見いだす事は出来ませんが、耕地整理の鼻祖と呼ばれていたくらいです。
大井川の氾濫やら堆積した荒れ地を耕し102の長方形の田んぼを作りこの田んぼを「百ヵ間地田」と呼ばれその偉業を讃え墓誌に残し大井川町文化財指定の標識が墓誌碑と共にその先に立っています。

その碑を後にして古道は進み滝井宅の西側を北に曲がり、三角屋敷の青野宅の前で鋭角に折り返し、相良街道まで戻り、材木置き場を南に進むと田沼古道のみであった里道と別れを告げここからは下街道として相良までの旅となる。
 ここに焼津市教育委員会の立てた碑があります。
ウンカ駆除の青野家の跡になります。
そこで、ここからが本命大井川となりますが、その古道は真っ直ぐ西に畑の中を向かい、工場を横切って
ほぼ直線で田中側に進んで行きました。
では、何故大きく南に曲がって進んだんでしょうか?
恐らく当時はこの田中川と上新田川の2つの川があり、とてもそのままでは渡れなかったと推測出来ます。
更に、この田中川は大井川港まで船が出ていた程の川で、古くは大久保(大窪)川と称されていたくらいの川だったので大回りをして渡りやすい所を探して進んだと考えられる。
 これは、この先の大井川の下瀬越えにも共通した事である。
田中川を無事に渡り終えた古道は滝井洋服店の所から北に進路を変えて相川農協の所で相良街道と合流する。

そこからは相良街道として仲良く下瀬越えの所まで進んでいきます。
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by micmacbig | 2010-02-09 15:08 | 田沼古道関連
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