旧の大手線

ここ最近藤枝郷土博物館にての軽便展で話が盛り上がっているので、本来「古道」ネタではあるが、何でもありということで(酒ネタも出てしまったので)軽便ネタで書こうと思います。

昭和32年に国道一号線の開通に依り進路方向を余儀なくされた大手線であるが、この新の路線に関しては、後ほどにして最初の大手線に関してはなかなか資料を収集出来なかった。
駅近隣で伺っても最初から青島旅館の所と思っている方が多数でした。
そりゃそうですよね。なんせ大正時代の話ですから。

現在の道すがらからひも解くと藤相線であった道を西に引っ張るとスルガ銀行に辿り着く。
ここが当初の藤枝新駅と当方は信じていた。
が、それは大きな間違いであり、現在の道すがらは区画整理により当時とは大きく変化していることまでは
気がつかなかった。

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1972年の住宅地図です。
この年代までは旧、旧の大手線(え~、ややこしい)の廃線路が残っておりました。
が、1975年(?失念しております)には区画整理でありませんでした。
養老の滝なんかがある駅前の1本東側の道がそうですね。
駅跡は現在駐車場となっていました。
そこから北上して222号線を超えて川田宅(元医院)までは何とか拡幅されても残っていますが、
そこから北の青木の地区は壊滅状態で家の真ん中を走っていました。

が、救いの道はまだ完全に区画整理が完了していないので地図上では家々の中を境界線が書き現れています。
現状では1軒の家が2丁目と3丁目の様に両方を持っている形になっています。
区画整理が完了してたら現在の道で描かれますので、その時は完全に廃線路は末梢されてしまいます。
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by micmacbig | 2010-02-22 05:53 | 駿遠線関連 | Comments(1)
Commented by pul-4 at 2010-02-24 20:07 x
pul-4です。
僕は一番最初は開業時の一次路線は藤枝新駅に向かってズドンと真っ直ぐ進入すると仮定し調査をしましたが、仮定と当時の写真と合わず不思議に思ってましたらスイッチバックの様相で進入する事が判明した、という経緯がありました。
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