ニアミスした意次達一行は海側に進路を取り神谷宅をぐるりと回り、お墓のところに出た。
このお墓は天明時代に疫病で亡くなった方々を葬っている。 そこに「田沼街道」の碑が有ることは有名であり、軽便探索やプログの大先輩である城東電軌様の探索記事にも写真が掲げられている。 そして北側から回ってきた藤相線と3度目の遭遇をして、古道は山側にかけ登って行く。 ここから、榛原にかけては山側を古道は進んでいるが、別に山側が好きであったというよりも、当時は海岸線がかなり奥まであり、必然的にこのルートを取らざるを得ないと考えられる。 それは、ここからの道がこんなに高度があっても砂地が殆どであるということです。 ちなみに藤相線も当時は片浜から太田浜辺りは海岸線で波打ち際であったが現在では埋め立てでかなり 南側に海岸線が移動している。 山に登った古道は波切不動を左に見ながら やおら右にググ~ト進路を変え クランク、クランクとくねくね曲がり 当然ここも砂地なのでここからの探索は健康にも最適な場所であります。 旧道に達する。 ここからは旧道を真っ直ぐのどかに東に向かいますが、国道150号線に合流する手前で一気に北に進路を変え又山側を進んで行く。 山裾の坂口宅より山に沿いながら東に進路を変え進んでいくと山側前方に民宿文一を見出す。 その地点から嘗ては細い小路が有ったが宅地化に伴い消滅してしまった。 また、ここに田沼街道を記した碑が有ったが、工事の最中にどこかに消えてしまったとの話である。 そこから神谷宅までの数軒は宅地化されて通行は不可能だが、その東側坂口宅からは細い小道が存在していて通行、探索は可能です。 言わずもがな、車では不可能な事は明白である。 ただ、残念なのはこの辺りはコンビニが無いので早く大洲まで辿り着きたいと焦る意次達一行であった。(笑!)
by micmacbig
| 2010-11-13 05:06
| 田沼古道関連
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