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堀之内軌道 

駿遠線とは趣きが異なりますが、先般のアスパルでの阿形先生の展示会でテーマとなった「堀之内軌道」を見てきました。

菊川や小笠、池新田は単に通りすぎるだけの所でしたので、地理感は乏しい所でした。
ましてや、菊川駅前は都市計画で当時の姿を残している所は皆無状態なので浦島太郎というより
浦島次郎みたいな所です。

37号線からは殆ど其の上を走っていたことは先週の明治の紙図で確かめられましたが、今回その問題の駅前にメスが入りました。

近隣の古老、図書館での古い資料や航空写真などより、
先ず、当時は金谷からの県道は線路に沿って走っていました。
都市計画は県道の姿形さえも変容させてしまった。
結果、当時を連想する事が益々困惑してしまう。

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尚、正確性には欠けますのでこんな感じでのイメージです。

菊川地域鉄道史に依ると当時の鉄道省の図面が提示されています。
それに依ると本社は現在のコンコース西側のおそば屋さんやお菓子屋さん辺りに有り、そこからオットーは椎の木を見ながら南西にカーブを描きながら西通りに出て市役所前の37号線の東側をゆったりと南下して行った。

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市役所を抜けたオットーは現在では存在しない「馬車道」と呼ばれた道を斜めに本通りに向け南東に進路を変更して行きました。

後は殆ど37号線上を走っていますが菊川や牛伏川などは現在の県道の橋とは異なる所を渡っていた様ですが確認には至っていません。

そんまま南下していよいよ最大とも言えるキーワードの「佐栗谷トンネル」ですが様子が解らず行ったり来たりでウロウロしてしまいました。
そのまま37号線を行きますと切り通しで進みますが、其の手前の「新野方面」の看板の所を左に進みます。(旧道ですね)
そこのトンネルの西側に問題のトンネルが存在しますが、幾多の研究書やHP等には其の手前まで行けて・・・の表現が有りますが、昨日の状態は草木が生い茂りとても一寸行ってくるか!どころの話では有りませんでした。
冬場でないとなかなかですね。

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また、池新田側は現在のトンネルを拡大する際埋められて地中の中に埋没されたそうです。
高低差が有った様ですね。2〜3m位下側だったとの話が有りました。

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ですが、ご安心有れ。
そこまで行く道すがらは何と廃線路がしっかりと生活道路として残っております。

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登り勾配なので喘ぎ喘ぎオットーは登って行ったと言いますが確かにきついですね。
そこから苗代田に向けて進み、池新田に進みました。

池新田駅は有名ですね。
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当時を思い起こせる物は有りませんが当時の廃線路の一部が僅かに残っております。


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ここもそうだと思われますが確認には至っていません。
次回の宿題ですね。

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安倍鉄道と同時期のこの軌道。当時をご存知の方は皆無とも言えるオットー。
後数年後に何処までの廃線路が残っているんでしょうか?
改変してもらいたくないですね。
by micmacbig | 2012-03-27 07:24 | その他の鉄道
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