戦前の新三輪駅

石津駅から大きなS字カーブを書いて弁財天川の土手に駆け上がった駿遠線は県道の
バス停付近の土手上にその姿を存在していましたが、戦前は橋の南側の当たりに有った事は
近隣の方々からのお話にも出て居りました。
その痕跡がこれとの事です。

f0212142_824794.jpg


このコンクリートの破片が当時のホームで有るとの事です。
また、当時は土手の高さは現在より低く、この破片くらいの高さと言います。
河川改修で土手を盛り上げたんですね。

何時の日か仕入れた地積図ですが昨日その存在に気がつきました。
 (今頃〜 と突っ込まれそうですね)
なかなか一発でその全ての全容を把握出来ませんので・・・・

その図面には確かに橋の南側に駅の記載が有ります。
昭和13年の図面です。
右側から地名等が書かれて居ります。
 「わみんし」と

「和民史」「輪明市」・・・・

問題は何時現在?の位置に移動させられたかです。
次回調べてみたいです。
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by micmacbig | 2012-12-18 08:36 | 駿遠線関連 | Comments(0)
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