カテゴリ:田沼古道関連( 28 )

歩こう会

新聞で下記のテーマのイベントを知りました。
まあ、歩こう会ですのでテーマに沿って単に歩くだけだろうと思いつつも
どんな内容なのかを知る為も含めT氏と共に参加して来ました。

9時に藤枝駅に集合して参加費300円を払い資料?を頂きました。
 まあ、これが資料を呼べるかは別として・・・・

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簡単な(超)説明を受けて進路を先ず北に向けました。
勝草橋を目指します。
中途の説明も何も有りませんでした。
只黙々と歩け 歩け 歩け
キタムラの所から東の小道に入るので高州迄は古道を通るのかな?流石!
と思いきや、やおら西に向け33号線をまっしぐら。
それじゃ 何の為にぐるっと回ったんだよ〜
意味ないじゃん。

そのまま、すたすた進んで相良街道に入り又々すたすた。
歩こう会はすたすたが好きなんだね。
中途スタバでも寄って行くのかね!

で、とにかくすたすたで大井川迄行き着きそこで昼食となりました。
その後のコースは川を北上して六合の駅を目指す(だけ)との事でここでお別れして
二人で帰路に着きました。

まあ、やはり「歩こう会」ですので途中で説明やらは時間の関係で難しい面は有ると思います。
それはそれで良いんじゃないかと思います。

自分一人ではなかなか行動に移せませんが、この様な会が有れば表面だけでも齧れます。
そこから気に入れば再度それなりに探索すれば良いんですから。

ですから、本日は大井川に散歩に行ったら歩こう会のお方々と御一緒しました
の巻きでした。

でも、風が強かったですね〜〜〜〜〜
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by micmacbig | 2013-02-24 17:39 | 田沼古道関連 | Comments(0)

古道と駿遠線との遭遇点

昨日の古道ウォークの後、各地の接点を教えて欲しいとのお話が有りましたので
其の地区毎では書きましたが、纏めて全路線での遭遇点を繋げてみましょう。

では、相良地区からです。
ここは短い区間で絡み合う様に接点が有ります。

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そこから細江まで来ます。
バス停の所ですね。

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吉田に入ります。坂口谷川の直ぐ東側です。

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吉田の第2と第3です。
ちなみに下吉田駅が有った所です。

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そして、大井川地区に入ります。

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お馴染み相川の八木床屋様の交差点ですね。

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そして、ここには短命であった相川駅がありました。
併用橋までの命でしたねお疲れさまでした。

そして、前述した様に藤枝市に入ります。

ひょっとしたら見落とし有るやもしれません。
其の時はまた発表します。
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by micmacbig | 2012-05-23 09:44 | 田沼古道関連 | Comments(0)

久々の古道

先週は安倍鉄道に行きましたが、本日は原点に戻って(?)古道を少しだけですが歩いてみました。

本日はT氏と共に前半は駿遠線の大井川橋梁から田中川迄をお馴染みのコースを次回の練習も含め
ポイントを押さえながら歩いてみました。
次回は各々の時間が決まっているのでその時間配分と説明内容との調整が難しいと感じました。

そこから、方向を変えて田沼の現BIG(旧マックスバリュー)から勝草橋方面を行って来ました。

そこで、見つけたこれなんですが。

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お〜〜〜 何なんだ! 悪戯にしては度を超していますね。
雨風でこうなったとは考えられません。
単なる悪さです。器物破損罪的な事です。

当然この場では直せませんので引っ掛けただけですが。

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悪い輩が居る物です。

そして今頃気がついた事ですが、藤枝市では古道と廃線路との遭遇が東名南側のみと
記述しておりましたが本日後2点が有るのがやっと気がつきました。

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やいやい、ここもそうだっけ!!!
 ほんと今頃でお恥ずかしい限りです。

先ずは、田沼地下道直ぐ西側の藤相線との交点です。

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もう一つは青島東小学校付近です。

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改めて気がついた事はやはり歩かないと駄目だ!でした。
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by micmacbig | 2012-05-20 18:20 | 田沼古道関連 | Comments(2)

田沼古道 平田地区

ニアミスした意次達一行は海側に進路を取り神谷宅をぐるりと回り、お墓のところに出た。

このお墓は天明時代に疫病で亡くなった方々を葬っている。
そこに「田沼街道」の碑が有ることは有名であり、軽便探索やプログの大先輩である城東電軌様の探索記事にも写真が掲げられている。

そして北側から回ってきた藤相線と3度目の遭遇をして、古道は山側にかけ登って行く。

ここから、榛原にかけては山側を古道は進んでいるが、別に山側が好きであったというよりも、当時は海岸線がかなり奥まであり、必然的にこのルートを取らざるを得ないと考えられる。

それは、ここからの道がこんなに高度があっても砂地が殆どであるということです。

ちなみに藤相線も当時は片浜から太田浜辺りは海岸線で波打ち際であったが現在では埋め立てでかなり
南側に海岸線が移動している。

山に登った古道は波切不動を左に見ながら

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やおら右にググ~ト進路を変え

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クランク、クランクとくねくね曲がり
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当然ここも砂地なのでここからの探索は健康にも最適な場所であります。
旧道に達する。


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ここからは旧道を真っ直ぐのどかに東に向かいますが、国道150号線に合流する手前で一気に北に進路を変え又山側を進んで行く。

山裾の坂口宅より山に沿いながら東に進路を変え進んでいくと山側前方に民宿文一を見出す。
その地点から嘗ては細い小路が有ったが宅地化に伴い消滅してしまった。
また、ここに田沼街道を記した碑が有ったが、工事の最中にどこかに消えてしまったとの話である。

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そこから神谷宅までの数軒は宅地化されて通行は不可能だが、その東側坂口宅からは細い小道が存在していて通行、探索は可能です。

言わずもがな、車では不可能な事は明白である。
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ただ、残念なのはこの辺りはコンビニが無いので早く大洲まで辿り着きたいと焦る意次達一行であった。(笑!)
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by micmacbig | 2010-11-13 05:06 | 田沼古道関連 | Comments(2)

相良大江の古道

久々の相良です。
風が強かったですが日差しは暖かでしたので歩くのには適していました。

資料館に車を置き大江地区を再探索に行きました。
古道と軽便の両方でしたのであっちこっちです。

港橋を出発した意次達一行は、まず旧道を萩間川に沿って行きます。
が、やおら左に曲がりくねくねと行っています。

真っすぐ行けば良いのにと思うんですが、恐らく上新田等と同様行けない地形的な訳が有ったと考えられます。
それは、当時は駿河湾がもっと山寄りまで有って湾が大きかったと考えられます。

従って、その手前で曲がり湾をグルリと回って行ったと想定します。

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そして北に進むと藤相線とのご対面です。

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この大江地区は地形の関係でしょうか数少ない遭遇点が3箇所もあります。
ちなみに他は榛原と藤枝ですね。

そして、杉山宅の所から右に進み、又藤相線とクロスします。

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現地に行くと杭が打ってあって車では通れないのが藤相線で、古道は車でも通行できます。

こんな、ニアミス場面も有りました。
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この橋の幅で軽便は行き来していたんですから如何に小さかったかが想像できます。
奥の軽自動車との比較がよく判りませんが軽より小さいみたいですね。

又、相良駅からの道でおなじみ用地杭を見つけました。
ここが当時線路だった証ですね。

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by micmacbig | 2010-11-11 06:08 | 田沼古道関連 | Comments(2)

古道 大井川編

 前回の内容をリメイクしていこうと思います。
 (言う程ではありまでんが・・・)

☆ 大井川町

さて、境川で大井川町に入った古道はしばらくは大人しく相良街道と合流した33号線に並走しているが、
ある意味で一番醍醐味の有った大井川町。一筋縄では行ってくれなかった。
明治12年の群制で遠州榛原郡から志太郡に編入された大井川町は現在焼津市となっている。
その境界を示しているのがここ境川である。
ここに青島史跡保存会の手で標識が建っているが気がついている人は少ない。

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そして碑です。

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33号線と別れ相良街道を西南に進むと、元矢師の平井宅があり、その南側に細いあぜ道を見つける事が出来ます。

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これが古道でクランクに曲がっていくと横山人形店の所に出ます。
この道は島田方面に通じる島田道となります。

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その島田道に沿って左に曲がると相良街道と再び交差点でぶつかり、今度は右に曲がり相良街道を進みます。
すると、右側に細い水路を見つける事ができます。これが高州地区同様の古道となります。

その水路を進むと今では宅地となって通行出来ませんが嘗ての河守惣太夫の屋敷の前に通じます。
今では住宅地となりその面影を見いだす事は出来ませんが、耕地整理の鼻祖と呼ばれていたくらいです。
大井川の氾濫やら堆積した荒れ地を耕し102の長方形の田んぼを作りこの田んぼを「百ヵ間地田」と呼ばれその偉業を讃え墓誌に残し大井川町文化財指定の標識が墓誌碑と共にその先に立っています。

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向かって右側の道は新しく作られた道で古道ではありません。

その碑を後にして古道は進み滝井宅の西側を北に曲がり、三角屋敷の青野宅の前で鋭角に折り返し、相良街道まで戻り、材木置き場を南に進むと田沼古道のみであった里道と別れを告げここからは下街道として相良までの旅となる。
 ここに焼津市教育委員会の立てた碑があります。

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ウンカ駆除の青野家の跡になります。
そこで、ここからが本命大井川となりますが、その古道は真っ直ぐ西に畑の中を向かい、工場を横切って
ほぼ直線で田中川に進んで行きました。

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こんな感じです。

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では、何故大きく南に曲がって進んだんでしょうか?
恐らく当時はこの田中川と上新田川の2つの川があり、とてもそのままでは渡れなかったと推測出来ます。
更に、この田中川は大井川港まで船が出ていた程の川で、古くは大久保(大窪)川と称されていたくらいの川だったので大回りをして渡りやすい所を探して進んだと考えられる。


昔の公図です。

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 これは、この先の大井川の下瀬越えにも共通した事である。

田中川を無事に渡り終えた古道は滝井洋服店の所から北に進路を変えて相川農協の所で相良街道と合流する。

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そこからは相良街道として仲良く下瀬越えの所まで進んでいきます。
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by micmacbig | 2010-10-25 05:56 | 田沼古道関連 | Comments(0)

超お久の古道です。

娘のマンション選びも終わり時間的に余裕が出来たので散歩方々大須駅近所を改めて探索してみました。
前回は土地宝典その他の図面だけでしか回れませんでしたが、運良く昔を知っている方にお会い出来、おはなしを聞けました。

難しいんですよね。60代くらいの方ですと当時のことは解らず、当時を存じている方は既に居られないか会話が不十分だったりして。

そこまで案内してもらいました。
細い路地を入ると何か臭ってきました。
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すると、既に民地にはなっていますが古道の面影が存在しています。
2尺強位の道がここに昔は有ったと話してくれました。

中央線との接点と思われます。
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そしてローソンの前をカーブしながら相良街道に向かって行きます。


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言うまでもなくこの右手が「大洲駅」でした。

意次氏「おい、喉が乾いたのでローソンでジュースでも買ってきてや!」
家来「殿、 ここにはビールも売っていますよ」
意次氏「オーそうか、 ではつまみも何か買ってきて一杯やるか~!!」


そんな訳がある訳ないですよね・・・・・・・

相良街道との接点です。
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お~!ここを通って意次さんは江戸に帰ったんだ!!!
その姿を想像しちゃったりして。

雨脚が強くなったのでこれで帰りましたが歩くのには最適な季節です。

色んな所に行こ~っと!
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by micmacbig | 2010-10-21 03:20 | 田沼古道関連 | Comments(2)

所感

駆け足で書き上げたブログでした。キチンキチンとやれなくてやる時には駆け足でやってしまう性格です。
小学校のときからそうでした。夏休み遊ぶだけ遊んで間際になってからやいのやいので宿題をやった事。
三つ子の魂何とかです。

で、今回調査をして一番感じた事は資料の少なさとかとかではなく、その古道が生活と融合している事である。藤相線に関しての探索は民家から離れているので支障はないが、古道の場合は民家の軒先とか、畑の真ん中とか、例えそれが官地であったにしても洗濯物が目と鼻の先とかでプライバシーが丸見え君な事であった。
 例えマナー良く探索してもプライバシーに入り込む要素がある。
言い換えれば尾瀬に出向きルート以外に入り込んでしまうとの大同小異です。

従って、探索時には近隣の方には必ず挨拶を交わす事は条件の一つと言っても良いだろう。

今回の探索に依ってこの年をして大きな勉強をさせて頂いた。
関係者にはこの場を御借りして厚く御礼を申し上げます。
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by micmacbig | 2010-02-12 22:01 | 田沼古道関連 | Comments(0)

第7楽章 相良地区 最終

いよいよ本丸に近づいた古道は大江地区に突入する。
砂地の畑を乗り越えた平田地区は波切り不動を擁す古い町並みが続く地域である。
矢部宅と今村宅(この地域は矢部、今村、坂口性が多い地域なのでややこしいが)真っ直ぐ西進して
民宿炆一の所にぶつかる。ここ間の道は以前は道として存在していたが。宅地化の波に飲まれ
消滅してしまった。
 そこから下りこう配の山道を進み、坂口宅で左に折れ旧道とぶつかり、そのまま旧道を萩間川に向かってすすんでいくが、やおら萩間川の手前の神谷宅クランクに曲がり波切り不動の入り口に出る。そこから坂道を左に進んでいくと墓地のある交差点となる。
 この交差点が数少ない古道と藤相線との交差点である。
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そして、天明時代に流行った疫病で亡くなった子供達を埋葬してあるこの墓地の所に何時頃立てられたかは不明だが田沼街道との標識がたっている。

ここから、神谷宅と矢部宅の間を進み小川に沿って西に曲がり再び藤相線を横切って増田宅と紅林宅の3叉路を左に行ったかと空かさず左に曲が又また藤相線を交差して今村宅の西側から旧道に出てそのまま旧道を進み港橋を渡って目出たく大和神社に辿り着き7里の道のりを恙無く終了した。f0212142_1725573.jpgf0212142_17304260.jpg
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by micmacbig | 2010-02-10 17:32 | 田沼古道関連 | Comments(3)

第7楽章 相良地区 Part5

☆滝の側から堺地区
ここからは農道として生き残っている古道であるので探索は容易い。
道なりに願望橋を越えて曲がりはしているが車でも探索可能な地域である。
Taihhoビルを過ぎるとまた畑になって通行は不可能となる。
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by micmacbig | 2010-02-10 15:18 | 田沼古道関連 | Comments(0)