<   2010年 03月 ( 12 )   > この月の画像一覧

坂本冬美

何でも食いの当方だが、最近の注目は坂本冬美である。
演歌が特に好きというでもなく単に聞く程度だが、今回の坂本の音楽はジャンルを超えた音楽性を表現している。
 音楽を聞くのは仕事中の有線放送が99%なので何らかの曲が流れているのは解るがそれが誰が歌っていて何という曲かは解らない。それが有線の宿命だが!(尤も有線のホームページで探索は可能だが、そんなユトリは持ち合わせていないので聞き流すばかり)

そんな中流れてきたのが「また君に恋してる」である。

演歌歌手の坂本ではなく、音楽家としての坂本を感じこのCDを聴いてみた。

最近はカバー集が多い中でも、上位に入る出来ではないかとを感じました。
ゆったりとした気分で時間の余裕のある中で聴いてみたい、聴くべきアルバムです。

あの、兄弟デュオの懐かしき響きの「ビリー・バンバン」も歌っていますね。
どちらが先なんでしょうね?
[PR]
by micmacbig | 2010-03-28 06:46 | 音楽関連 | Comments(4)

Jacques Loussier

さて、その次に控えしは?とくればまたまた迷うが彼を挙げよう。
Jacques Loussier(ジャック・ルーシェ)
トリオを組んでバッハの曲を中心にしてJazzにアレンジするピアニストである。

あれは何時の御時かは忘れたが、近くのピアノ教室の先生がこんなレコードが有るけど聞く?
と言われ大した興味も抱かなかったが折角だから(御免なさい)借りて聞いてみるか!で
聞いたところ鮮烈な印象が駆け巡り直ちに虜になってしまった。

勿論原曲を知っていた訳ではないので良さとか比較とかはその時は解らなかったが魅了された事は
間違いは無い。
ちょうど前述「Beatles」の音楽を最初に耳にしたのと同じであろう。

無い小遣いでレコードを買い、又折しも来日したところだったので何と東京まで友人と聴きに行ってしまった。

あれから、30数年が経っているが今だフェイバレイトアーチストの一人として君臨している。
「アリア」(G線上の)が著名だが、「ブランデンブルグ協奏曲の第5番」が私にとって一番心に残っている。
  http://www.youtube.com/watch?v=BhjUMn3RNGU

また、ベートーベンの第7番の交響曲の第2楽章(永遠のアレグレットと形容されるこれも好きなしびれる曲である)のアレンジが独創的で単にJazzにアレンジしただけではなく自らがコンポーザーとなって曲作りをしている感もある。
   http://www.youtube.com/watch?v=CKt0wVrfEVI

そればかりではなく、あのピンク・フロピドやエルトンジョン、イエス、スティング等の超大物ロックグループとも
共演をしているとの事。(これについてはまだ聞いておりません)

こんな感じは日本では、前田憲男に共通する。
  http://www.youtube.com/watch?v=5cbSDDMIl8I&feature=PlayList&p=FA4308DE129ACF14&playnext=1&playnext_from=PL&index=35

ハネケンなんかもそうですね。
[PR]
by micmacbig | 2010-03-27 05:47 | 音楽関連 | Comments(0)

Celtic Woman

音楽家で誰が好きですかと問われれば、「The Beatles」と答えざるを得ない。
中学の1年の時であった。
音楽好きと言うほどではなく、普通の単なる男の子であった当方だがある時ラジオから流れ出た曲に戦慄な感情を抱いたのは私だけであろうか。
そこからビートルズファンになってきたのは多くの同年代者と同じと察する。

また、そんな意味からも現在の音楽の授業に「ヘイ ジュード」が取り上げられているのは俺しく思う事だが、その間面犠牲者が出ている事は先にも述べたようにまことに残念な事である。

で、ビートルズ論を展開するのではなくでは、次に好きな音楽家は?と問われた場合う~んこれは順位的に答えが詰まってくる。

そこで、強いて挙げるのなら「Celtic Woman」の名を掲げるであろう。

名前だけだと??かもしれないが荒川静香が金メダルを取ったときのエキジビションでの曲と言えばなじみがある。
  http://www.youtube.com/watch?v=H7hUsCtiYnI
それが、「You Raise Me Up」であった。
曲は、あの「ロンドンデリーの歌」が元歌である。
  http://www.youtube.com/watch?v=3ERUfpiJ9L4

アイルランド出身の5人組のコーラスグループで澄んだソプラノが大変と魅力的で、日本民謡とも共通点があるアイルランド旋律が大変と美しい。

ロックのような激しさとか大胆さは無いが何か琴線に触れるようなサウンドが魅了する。
また、クラシック音楽を基調とする音楽性の豊かさも魅力の一つである。
[PR]
by micmacbig | 2010-03-25 05:50 | 音楽関連 | Comments(2)

「月の沙漠」

性格が中途半端と言うか移り気と言うか根性無しと言うか直ぐ次の標的に向かってしまう当方である。

軌道の調査で益津村が出てくると好きな曲である「月の砂漠」を思い出す。
佐々木すぐるの作曲(勝手に作られたと言う説もあるが)に拠るこの曲は有名で知らない人はいないだろう。
が作詞が加藤まさおである事はあまり知らない。
ましてやこの加藤が西益津村で生まれた事は更に知られていない事実である。

藤枝市は著名な文学家を排出している。
博物館で軽便とコラボされた「藤枝静雄」と「小川国男」である。
両者があまりにも両雄過ぎてからか加藤の名前は片隅に追いやられている感も有る。

そして、この曲名の砂漠であるが当方もこの「砂漠」の字と先ほどまで信じていた。

が、正式には「沙漠」であったと。

より乾いたさらさらな砂の意味らしい。

現在の小学校でこの曲を音楽の授業で勉強している、歌っているかは存じない。
唱歌も含めて音楽の教科書から時代を代表するこれらの曲が無くなって行く事は大変と淋しい事である。
確かに時代にそぐわない歌があるのは事実だがそれを歴史的文化として返って歌い続ける事の方が
教育と言うものではないであろうか!

当方も音楽は和・洋・中 何でも好きである。
最近は遠ざかっているが、[midi」に興味を抱いたいた時もありました。
その、レパートリー(と呼べるほどではないが)この「月の沙漠」をmidiにした時があります。
現在そのmidiは携帯での起床の音楽として生き残っております。
[PR]
by micmacbig | 2010-03-21 05:45 | 音楽関連 | Comments(4)

乗降口と駅

つらつら各地の人車鉄道を調べていくと、明確な情報は入手出来えないが、軽便鉄道の如くの駅、駅舎は見受けられないようである。
 一つには、乗れて6人くらいの人車という物理的な問題。
 また、1日に 7往復くらいしかない運行での必要性。
 路面電車と同じ様に道路上での乗り降り。

それらを考えると駅といっても単に決めてある乗り降りをするだけの場所ではないだろうか?

まだ、藤枝駅としての存在は認識していないので何とも言えないがたとえ存在していても、
藤相線の駅の様な大きな建物では無かったと推測できます。

参考までに野田市の人車鉄道の写真があります。
 http://www.kigekiraumen.com/kippu/nodazinsyatetsudo.htm
駅としての建物表示は見えませんが当時を忍ばせます。


                       
[PR]
by micmacbig | 2010-03-19 05:23 | 地元・地域関連 | Comments(0)

藤枝駅 考

探索を進めているこの藤枝・焼津間であるが、公的情報が皆無と言ってもいい位の状況である。
法務局に出向き明治時代の公図(紙図)を紐解いても単語一つも出てこない。(タイムラグも有りますが)
現在判明している事実は30号線を走っていた。
西町駅と瀬戸川駅と藤枝駅の3駅が存在していた。

その西町駅は中野氏の地図により明らかとなっている。
また、瀬戸川駅は川の両袂でそれなりにの感であろう。
何せ駅は有っても降りたいところで降りて乗りたいところで乗ったと言うから
駅といっても仮初的なのだろう。


そんな中下記の書物を見る機会を得た。
f0212142_7125117.jpg


其れに拠ると30号線を北上してきた軌道は224号線と交わって程なくの所で終わっている。
これを現在に置き換えてみると、国道の少し南に当たる「西益津公民館」と「山本茶店」との位置に想せられる。
f0212142_733458.jpg


はたまた聞いた話ではこの西益津公会堂はずっと以前は西益津村の役場であったそうである。
また、道を挟んで南側には警察署(交番?)も有ったと言うから。ここが村の行政の中心地で有った事となる。

とすれば、役場前から人車に乗って焼津駅まで行っても不自然ではない。

後は、乗降口がどちら側に付いていたかである。

当方は清水の草薙の生まれなので清水線(ちんちん電車)に乗った経験が有ります。
当然路面電車なので俗に言う駅舎は無く単に乗り降りするだけの駅であった。

従って、西町の駅がどの様になっていたかは解らないが恐らく雨よけが付いているくらいと察せられる。

tou tubeに人車鉄道の動画があるが乗降口は種々である。
  http://www.youtube.com/watch?v=C8q43qzFJR4

今のところこの辺りが藤枝駅であったと認識を持っている。
[PR]
by micmacbig | 2010-03-18 07:14 | 地元・地域関連 | Comments(0)

きっかけ

何の趣味でもきっかけ、出会いが有る物だが当方の古道探索のきっかけは新聞折込の1枚のちらしであった。
一応新聞紙面、広告チラシの類は拾い読みだが目を通すほうである。
そんな中 今井のチラシが運命の扉を開いたと言っては過言だがそれを見なかったら現在の当方は無かったであろう。
それがこのチラシであった。
f0212142_6571484.jpg


元来の「鉄っちゃん」でも「古物好き」でも無い何のとりえも無い当方が何か引いたんでしょうね!
まあ、言ってみれば道を歩いているときに「へ~ こんな所に細い道が有るけれども何処につながるのかな~?」なんて思った程度でそれ以上は気にも留めない程度であった。

潜在的なものが有ったんでしょうか?

そしてそのまま新聞箱に収納したが何故か気になって再びチラシを取り出してやおら静鉄に詳細について電話をしたものだった。

が、帰ってきた答えは当人も解らず唯現在の田沼街道(33号線)を走っていたようです  位・・・
で、高洲のバス停のところに記念碑がありますよ と

で、早速それを探しに出かけるがそのときは見出せなかった。
ここからは前ブログに繋がる。
   http://park.geocities.yahoo.co.jp/gl/micmacw123
[PR]
by micmacbig | 2010-03-16 07:08 | 駿遠線関連 | Comments(2)

阿形氏の講演会

待ちに待った本日を迎え、仕事を午前中に済ませ一路蓮華寺に前回と同様30号線を向かった。
中途で何か人車鉄道の跡が無いかな~とぐるりを見渡しながら進むが当然そんな痕跡が残っているわけではない。当たり前のことだが、でも、何故か探してしまうのが探索屋の宿命とでも言おうか!

 1時前に会場に着きO氏を待っているが観客が次々と入場していくので順番だけでも取っていこうと受付に行ったらなんとその時点で31番であった。(会場60人に対し)
 O氏と出会い中に入るが次から次えと入場者が増えやがて満席となった。
が、ついには立見席も現れる好調ぶりである。
相撲でたとえれば「満員御礼」のかかる状態であった。

時間が来て笑顔を湛えた先生が登場してあの「阿形トーク」で難しくなく解りやすい説明で映像や写真を含めながらあっという間の1時間半が経ってしまった。

遠くは東京からの方もいて盛況な講演会であった。

当方にとってはもっと突っ込んだ部分の話を聞きたかったが万人向けの講演会なのでそれは致し方がないだろう。

この講演会を通して一人でも多くの軽便ファンが増えればと思ったのは当方だけではないだろう。*
f0212142_17283574.jpg

[PR]
by micmacbig | 2010-03-13 17:30 | 駿遠線関連 | Comments(3)

西町踏み切りPart2

現在の北原商店は当時とは異なり、あの地域一体が区画整理でその姿は変容してしまい当時を蘇らせえる物は何も無い。
 当時の写真、地図を見ても中々それを今の姿では想像を絶するものが有るのが古道の探索の妙である。
ベテランになればピピッと感じるだろうが、新米の当方にとっては至難の業である。
どうしても目に見える現在から想像するので中々当時を被せることが難しい。

 新藤枝駅もそうだが区画整理により道路も幅やら方角やら変容するのでその位置関係を勘違いしやすい。

さて、当時の北原商店は当然現在の場所ではなくもっと線路よりの要は「西町駅」の跡に建てられたと聞く。
その前に踏切があり線路に沿って30号線が走り大手まで行っていた。
当時はその30号線がメインで西町銀座とも称されたほどである。

f0212142_5541448.gif


現在では跡地は住宅地となり当然当時を想しえるものは皆無の状態である。
30号線は冷たい土の中に静かに眠り、新しい30号線が動脈となって現在を支えている。

f0212142_5544954.gif

[PR]
by micmacbig | 2010-03-11 05:35 | 地元・地域関連 | Comments(0)

西町踏み切り

現地を調査したところ、問題の西町踏み切りは現在では廃止されていて垣間見ることは出来なかった。
その変化形が駅の西側にある地下道がそれである。
聞き合わせを始めたが踏切が有ったとの証言は得られたが、肝心の人車については知らないばかりである。
何軒か伺った次のお宅のご主人が大手までトロッコの様なのが走っていたのを聞いたことはあるよとの証言を得た。
 これにより軌道は西町の地下道辺りから大手まで行っていたことは間違いはない。
そして、やはり30号線の片隅を走っていたらしい。

帰路、図書館に赴き関連資料を探すと殆ど無いに等しいが、中野清彦氏の著書の中に「現在の焼津北区西町の北原商店の付近に、広さ約100坪位のトロッコ鉄道の停車場があった。」
また、駅が瀬戸川を含めて3駅しか無かったというか、乗客の求めに応じて、勝手に乗り降りしていたらしい。

何ともゆったりとした風情である。
鉄道というよりも人力車の親戚であるので、
[PR]
by micmacbig | 2010-03-03 12:02 | 地元・地域関連 | Comments(2)