<   2010年 04月 ( 7 )   > この月の画像一覧

展覧会の絵

ロシアの作曲家 ムスログスキーのピアノ組曲で有名な本曲であるが、ラベルによって管弦楽としての作品のほうが知られている。

数々のアレンジバージョンがある中、E・L・P(エマーソン・レイク・&パーマー)のロックバージョンが一押しである。

演奏前に「We gotta play Pictures At An Exhibition」と聴衆に訴えて開始される本曲である
f0212142_5594994.jpg

昨日、久々にストックホルムでのライブ映像を見てみた。
よくぞ、アレンジに挑戦して、見事に演奏している姿はクラシックとかロックとかのジャンルの壁を取り払い、音楽としての芸術性を表してくれている。

恐らく、クラシック一辺倒な方は邪道だ!冒涜だ!とのお声もあるだろう。
が、クラシック音楽が崇高で最大のものでは無い。
単に、クラシック音楽というカテゴリーの音楽だけに過ぎないと思うのは当方だけであろうか?

俗に言う「芸術」という個々の観点に拠って異なる感性を持つ世界は受け取り側の器量に拠り多種多様な広がりを持っている。

そこが、1+1=2という数学的な世界とは大きく異なる。

最後の「キエフの大門」の高らかなる高潮感は聞く側、見る側のどちらもその絵画の中に引き込まれる
要素を持っている。
[PR]
by micmacbig | 2010-04-22 06:03 | 四方山話関連 | Comments(2)

吉田図書館展示会

小雨の振る中だが、本日吉田の図書館に行きました。
何回か足を運んだここ吉田図書館であるが軽便展としては最初となります。

公道から引っ込んでいるので最初は判りにくさを持つ場所ではある。
そして、2階の展示室に足を運ぶと軽便ワールドが拡がっていた。
今回は阿形ワールドと言うより提供者の米持&望月ワールドと表現しようか。

左から、案内提示版、本題の米持作品、望月作品と連なっている。
f0212142_1756925.jpg


各メディアに紹介されています。
f0212142_175787.jpg





静岡新聞の体裁記事です。(中部版に載らなかった事と、web版に載らなかった事が残念でなりません)
f0212142_17494345.jpg







米持作品は、大東町の展示会で初めて知って以来、何点かを各所で拝見させて頂いた。
「相良町の踏み切り」でしたね。(正式名は失念しました。失礼)


望月作品は、各書物の中で知り得ました。
f0212142_17582630.jpg


最後に新茶を頂いて満足の至りで帰宅しました。
深みのある口一杯のテイストは良くぞ静岡人に生まれけり!です。
f0212142_17405542.jpg



火曜日の雨の振る中でしたのでギャラリーとしては多くは無かったですが、何か若い世代の方が多く見えられたと、聞いております。

上吉田の駅にもそう遠くは無いここ片岡の地です。
多くの先輩達が軽便を利用して藤枝に、相良に向かった話は多々聞いております。

まだ、24日までは開催されていますので寄り多くの方々が図書館に、と言うより展示会に足を運んでくれる様
願っております。
[PR]
by micmacbig | 2010-04-20 17:14 | 駿遠線関連 | Comments(3)

before&After

1週間という時間のたつのは本当に早いですね。

吉田図書館へは今週は行けませんでしたが、来週行きます。
 と言うか来週行けないと24日迄ですので機会を失ってしまいます。

で、隣の梨畑が花が散って緑の空中絨毯になってしまいました。
f0212142_17571493.jpg

土手の桜も葉桜と化して(進化して)しまいました。
f0212142_17574360.jpg


この寒さで、夜桜見学は出来ませんでした。

今からは植物のグラディエーションの楽しみが無くなってしまいました。
でも、その代わりに目に青葉です。
とくればやっぱり「鰹」ですね。
楽しみはどんどん変化してきます。

鰹とくればやはり刺身ですが、骨を潮仕立ての荒汁が何と言っても最高です。
それとハラモの塩焼き、極め付きは「へそ」ですね。
塩焼きでよし、フライでよし、おでんでよしとの3拍子です。
が、焼津以外はそんなに馴染みはないようです。
[PR]
by micmacbig | 2010-04-14 17:58 | 四方山話関連 | Comments(2)

小川城最新

最新と銘打っても単に当方にとってだけであるが、ある程度の情報が纏まった。

屋敷は現在遊歩道の所にある碑を中心にして横150m、縦90mの敷地であった。
大凡4,000坪強であるので、現在の資産価値に換算するとなんて考えるのは無粋というものであるが・・・・・

館の辺りは周辺よりも微高地にあり、10mくらいの高さと言う。
そして周りに堀を巡らし、門を解して行き来をしていた。
屋敷から東に向かって伸びる道が「竪小路」と称し、屋敷の南側を西に向かう道を「西小路」と呼んでいた。
現在でも、「西小路公園」があり、また屋敷の西側辺りを西小路と言う小字が有った。

こんな感じでしょうか。
f0212142_7542067.jpg


が、不思議なのはその「竪小路」は現在「焼津市道 西小路線」と言い、竪小路から続く小川新道を「焼津市道 縦小路線」と称している。

従って、山政前のバス停が「縦小路」の名前が付いたんであろうか???
何ともややこしい地名の関連である。

でも、昔の小字には何らかの歴史的見地の意味合いがあるので、それがそこの歴史を表現している。

ちなみに、当方の「大洲」には大井川の氾濫の繰り返しにより砂利層が堆積し出来た地との謂れがある。

f0212142_18542069.jpg

[PR]
by micmacbig | 2010-04-13 18:54 | 地元・地域関連 | Comments(0)

さようなら 藤枝郷土博物館

とうとう11日 本日が最終日となってしまいました。

地元故、何回も行けるぞと力んでいましたが、結局は3回しか行けませんでした。

多くの方に愛された軽便、それらの方に支えられた展示会。
文学好きな方は改めて知った軽便。
軽便好きな方はその文学の深さに新しい見地を開いた文学作品。
どちらも幅広く愛好者を増やしたと言えます。

さて、先日のNHKでこんな放送が流れていました。
 「しずおか情報ランチ」・・・圏内各地のイベントを紹介する番組らしい。
その中で今回の博物館情報がありました。

最初はこんなんです。
f0212142_5185136.jpg


そして、可愛いこちゃんが登場です。
f0212142_5194035.jpg


本題その1です。
f0212142_522154.jpg


本題その2です。
f0212142_5224885.jpg


館内の様子などが流れるのかな?と思っていたのでチョット拍子抜けもありました・・・・

これを見て最終日の今日、蓮華寺に多くの方が訪れるのを期待しています。
[PR]
by micmacbig | 2010-04-11 05:27 | 駿遠線関連 | Comments(3)

四季より「春」

なんていうとビバルディーになってしまいますが、やや寒さは感じますけれども「」ですね~・

隣のお宅の梨畑です。
藤枝から大井川にかけては志太梨の産地です。
でも。だんだん畑が減ってきています。
f0212142_5351877.jpg


たんぼの土手のタンポポです。
ローリング・ストーンズにダンディライオンと言う曲がありましたネ(古~い)♪♪
f0212142_5375091.jpg


桜並木?です。
日本人はやはり「桜」ですね。
夜桜で一杯やりたかったですが機会が有りませんでした。
f0212142_5401130.jpg


こんな曲がりくねった水路があります。
昔のままです。
何か古道や廃線路を感じさせます。
f0212142_542437.jpg


やっぱり春は好きです。
[PR]
by micmacbig | 2010-04-08 05:44 | 地元・地域関連 | Comments(6)

焼津の小川城

150線の山政前のバス停の名前を見ると「縦小路」との言葉を見出した。
さて、縦とは??小路とは???
ムクムクとしたものが出てきて聞いてみると昔の小字で、その辺りを「縦小路」と読んでいたそうです。
が、その謂れについては不明とのこと。
城之腰の田子橋の処からローソンの横を通り、斜めに真っすぐの大富街道まで進んでいる道を「縦小路」と称している。

では、何故「縦」なんだろうか?
思いつくと、嘗て「小川城」というものが有ったと聞いたことがある。
これと関連していないであろうか?と推測してみた。

で、「小川城」たる物をググってみると、城というより豪族の屋敷であった。

場所も提示されているので早速足を運んだ。

法務局の西側辺りとのことで目的地まではすんなり進めた。
それは、遊歩道に一角に派手さもなく佇んでいた。

f0212142_534511.jpg


焼津市西小川(にしこがわ)3~6丁目は、古くから「法永長者屋敷跡」と言い伝えられてきた。
「法永長者」とは、今川義忠(1436~1476)が急死し、今川氏の相続争いが生じた時に、伊勢新九郎(北条早雲)を介し、義忠の正妻北川殿と義忠との子竜王丸(後の今川氏親:1473~1526)を保護した人物である。その後、法永の子孫(長谷川氏)は今川の家臣となり、今川氏滅亡後は徳川氏に仕えたと伝えられている。
昭和54年(1979)からの発掘調査により、屋敷の周囲に堀を持つ本格的な中世屋敷跡が見付かった。調査の結果、屋敷の周囲にも多くの建物跡が広がり、下層部には古墳時代や平安時代の遺構もあることが分かった。現在は遺跡全体を「小川城遺跡」と呼んでいる。
屋敷の周囲には長大で複雑な堀を巡らしており、単なる屋敷ではなく、戦闘に対する防御機能を備えた城郭的構造になっている。素掘りの堀は幅が15~16m、深さが1~2.6mある。また、この堀の内側や外側の一部にも、細い堀が巡っていて、堀の形態が変化していたことを知ることができる。
屋敷内部は、長辺150m、短辺90mで、約13,500㎡の広さがあり、堀(溝)によって3つに区画され、母屋・倉庫などの建物が配置されている。屋敷の周囲からも多数の建物跡や、井戸があり、屋敷からは国産の陶器や中国産の輸入陶磁器、漆器や曲物などの木製の生活用品、刀・釣針・古銭などの金属製品、斎串・呪符・人形・舟形というような呪術資料などが豊富に出土し、往時の繁栄がしのばれる。これらのことから、当地が物流の拠点としての小河湊を背景に、室町時代の大井川平野の中心地として賑わっていたことがうかがえる。
この小川城遺跡の出土品は、焼津市歴史民俗資料館に展示・保管されている。
  
  と説明板には記述されている。
f0212142_542114.jpg


確かに近所には「竪小路団地」とか「竪小路公園」(竪の字も使われたらしい)と名前が見受けられる。

またこの西側には「西小路公園」とあるので「西小路」も存在していただろうと推測がつく。

従って、この長谷川家の屋敷から物流の中心であった「小川港」を繋ぐために作った道路ではないだろうか。
そして現在では大富街道で分断されているが当時は真っ直ぐ1本の道であったに違いない。

f0212142_5195029.gif


また、商業の発達により各地から商いのために旅人が多くこの地を訪れていた。
それらの為に宿場も開けていた。
その名残が現在の地名にも反映している。
大富街道沿いの農協の隣は「小川宿局」という郵便局があるし、いちょう通りには「小川宿」というバス停もある。
f0212142_5285425.jpg


が、公的なその謂れを記載した資料は見受けられない。
郷土史としての観点で箱物ばかりではなく、行政がこれらを整理して後代に残すことが必要ではないかと考えるのは当方のみであろうか?
[PR]
by micmacbig | 2010-04-02 04:46 | 地元・地域関連 | Comments(0)