第7楽章 相良地区

   ☆勝俣川から大磯川まで
鹿島神社で御参りするかの様に進んだ古道は神社を通り過ぎると大石茶工場から北に進みグランシャリオのマンションを横目で見ながら茶畑の中を北西に八幡神社目指して進み、
そして神社から左に折れ畑宅の南側を超え相良街道まで一旦下がる。
そして堀切川を渡ると直ぐの大鐘家の西側の道を道祖神まで進んでいく。
このような一旦フィードバックするのは真っ直ぐ行けない何かの要因が有った訳である。
橋が掛かっていない、湿地帯が放ろがっている、等
相良地区はこの様な箇所が幾つも見られた。
そこからは水路に沿って大磯川まで道無き道を歩んでいる。
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# by micmacbig | 2010-02-10 11:20 | 田沼古道関連 | Comments(0)

第7楽章 相良町

勝俣川を相良街道として渡った古道はいよいよ最難関の相良町に突入する。
この近辺はどれもが古道ですよの感が強くまた、裏付ける資料も少ない。
それと、これが古道ですよと認識出来る古老も少ない。
ある方は現在の150号線がそうですよとかいや相良街道がそうですよとかいや山筋を行っていたよとか各種様々であった。
 
 それを各地区に分けて追っていこうと思う。
現在確実に古道であると言われている所は、大鐘家の前の道、釣徳寺からの道など数カ所は完全に解明されているがその他は幻の如くであった。

古老の話は最重要だが、それと共に市役所より明治22年当時の公図を入手してその赤道を追っていった。
江戸の時代の主要幹線であった田沼古道は確かに意次公が失脚してその意味を成さなくなってからは廃道の様になってしまった箇所も有るが、明治のこの頃までは道としての存在は残っていたと考えられる。
従って赤道のどれかが古道であると判断した。
 が、法京の地に於いては赤道ではない山側がそうだという意見が強かった。
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# by micmacbig | 2010-02-10 10:44 | 田沼古道関連 | Comments(0)

第6楽章 榛原町

坂口谷川を渡った古道は現在の牧ノ原市に入っていくが、この榛原町も様々な推測コースがあり、とあるは吉田田んぼからそのまま山沿いに進んだと言う説やら、大きく南に向かって青池の方を回ったとか(確かにお寺関連は多いが)だが、本命は現在のバス路線そのもの(相良街道そのもの)と考えられる。
 地元の古老の多くが語っている。そうすれば静波3丁目の道標とも一致する。
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とするとあまりにも簡単すぎるようでは有るが榛原町に関してはこの相良街道(旧道)が田沼古道と結論付けたい。
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# by micmacbig | 2010-02-10 10:16 | 田沼古道関連 | Comments(0)

補足 吉田町回想

今回、吉田町に関し近隣古老の話も聞いて探索検証した訳だが、大半は教育委員会が平成4年に発刊した「吉田町と田沼街道」を大きな参考とさせて頂いた。
 読めば読む程その内容の濃さに驚嘆と感銘を受けるばかりである。
今でも、手近に置いていえ座右の銘としている。
他行政でも負けじと各地区の田沼古道に関しての研究書を発刊すべきだ!と考えているのは私だけであろうか?
 県立図書館でさえも、当方の欲する資料は見つからない。
が、逆に考えるとそれだけこの「田沼古道」という物が関心レベルにも到達出来ていない物なんだろうか?
意次公に関しては様々な書物を見いだす事は容易いが、こと古道に関しては皆無と言っては言い過ぎかもしれないが見当たらない。
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# by micmacbig | 2010-02-10 09:55 | 田沼古道関連 | Comments(0)

第5楽章 吉田町 Part3

今でこそ大商業地域として発展しているこの住吉の西側だが、当初は家など無く榛原の明かりが間近に見えていた位であったが時代の隆盛と共に変容していく。
 スズキ自販の交差点を超えた古道は青果市場前を水路を伴って西進していく。
やがて、大きく北に向きを変え現高田薬局裏手の嘗ての下吉田駅の所から藤相線を横切って、吉田田んぼの中を優雅に羽ばたく様に弧を絵描きぐぐっと南に向きを変え再び藤相線を渡り法務局のあたりより坂口谷川を渡り榛原町に向かって行く
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# by micmacbig | 2010-02-10 09:02 | 田沼古道関連 | Comments(0)