タグ:<by clear=all> ( 3 ) タグの人気記事

第5楽章 吉田町

    ☆大日村から川尻村へ
江戸の時代にはあの東海道でさえも橋を架ける事を許されずに、旅人は公道の渡し意外は渡河も許されなかった。。
が、古道が下瀬越えとして独自のルートを持って渡れる事は意次の如何に権力が大きかったかを物語っている。また、大きく斜めに渡ったのは川幅も広く流れも緩やかになるのでこのようなコースを選んだ。意次のみに許されたルートではあるが、近在の者や行商の者がこっそりと渡る事が後を絶たなかった。
また、渡しを商いにする輩も出現して島田、金谷からの訴状も出ていた。

 相川村から倍以上も掛けて渡った古道は吉田町高島の地に上陸する。
川除地蔵の少し下流側で、現在のツースリーの工場の東方に上陸した古道は曽根宅の前を通り、熊野神社から左に曲がり高いフェンスのオカモトの工場内に消えていく。
 工場内をうねうねと南西に進んだ古道は大日村辻が墓の地域でマル二うなぎ加工所の所で再び顔を表し、八木宅より西に向かい浄土寺を北に見ながら小山の町を優雅に進んでいく。この小山の街道こそが
当時からの古道で当時は華やかで活気のある町並みであった。街道を利用する旅人のオアシスとも言えただろう。
 小山の町を過ぎようとした所に嘗ての郵便局であった半田酒店を左に曲がり火の見やぐらが見える。
その火の見やぐらの右側の道を行くと恰もタイムスリップをした感もあるクランク続きの道すがらとなる。将に古道そのものである。 
 その先さくら団地をぐるっと回るように進み、大窪側をを渡り岩本塗装店から高畑の集落をうねうねと北上していく。 

f0212142_16401862.jpg
f0212142_7421212.jpg
[PR]
by micmacbig | 2010-02-09 16:40 | 田沼古道関連 | Comments(0)

高州地区

県道33号線と合流した古道はここから殆ど相良街道として進んでいく。と言うより相良街道が田沼古道を拡幅して進んでいるのが現状である。
 合流地点より相良街道を進んだ古道は、小林呉服店あたりより西南にカーブして深田宅の間にある水路として顔を見せる。そこから、岩堀畳店の裏手を通り曽根宅の東側をはたまた水路として進み、旧の高州郵便局の裏手と、嘗ての勇であった高州銀行から岸本菓子店の交差点あたりに出現する。
30年代には細いあぜ道として残っていたと言う。
 ここから程なくは相良街道の中を進むが、東洋ドライを過ぎたあたりより再び西南にカーブして、17夜川の所に出てくる。
 大人しく相良街道の中を南下していくが、北堀宅を過ぎると大きく西南に進み、現高州郵便局と元のカプセルの間を抜けていった。

f0212142_1257979.gif
f0212142_12573654.jpg
[PR]
by micmacbig | 2010-02-09 10:18 | 田沼古道関連 | Comments(0)

第3楽章 藤枝地区での田沼古道

本来なら起点である相良から記載すべきであるが、敢えて終点の勝草橋側から進めていきたいと思います。

☆終点より国1
  勝草橋のやや南側に田沼街道の終点を示す道標が青島史跡保存会によって建てられている。 大きな松ノ木が立っていてその下にお地蔵さんが祀ってあるので見つけやすいと思う。 そこから南に下がる道に沿って田沼街道は発進している。が、当時の道とは異なり明治43年の瀬戸川洪水のあとの耕地整理で直線に改修されたと聞く。尚、ここからは新の大手線と並んで仲良く南下している。自転車歩道が大手線で改修はされているが車道が田沼古道である。

☆国1ガードより塩取橋へ 
 平安の始め垣武天皇の后が東国に流され志太の海岸に漂着し、稲川村の盛岡広右衛門に保護されたところから、この地を「尼ヶ島」と呼ばれていました。
古道は藤越家具店の方にカーブして進んでいきます。

そして青島東小学校の手前で淋しく分かれて走っていた大手線と再び並走して まっすぐに塩取橋に進んで行く。ここからは大手線側に見事な藤棚が設置されて、時期ともなると市民の良い休息所となっている。 その塩取橋だが、江戸時代に太井川の吉永村の塩田で作られた塩を藤枝村や山村に行商に来た際、田中藩の役人が年末の3日間森岡家に出向き「運上税」として塩1升ずつを納めさせたところからこの「塩取橋」の名が付いたと言われている。ちなみに藤枝の山間部では塩の事を「よしなが」と呼んでいたそうです。
 が、実際の橋は耕地整理で青木川が真っ直ぐに改修されたので少し位置が異なっている。


 ☆小石川地区
 青木橋を超えた街道は仲良く大手線と行動を共にしたが、 小石川の手前で無残にも別れを告げられそのまま南進を 余儀なくされた。そして、ファミリーマートのある焼津街道の歩道橋を渡り、その面影を残している安藤家と曽根家の間の小道に差し掛かる。 余談ではあるが、ここは以前当方が大手線の廃線路と勘違いした所である。
 その後は33号線を横切るとその痕跡は大手線同様区画整理に拠って冷たい土中に埋没されてしまった。夢屋と池ヶ谷電気との間を抜けると今度は藤相線と踏み切りで出会いとなる。 尚、この安藤家の場所には、嘗て明治17年組合町村制による前島村外8ヵ所の戸長役場がありました。そこに大乗妙典千部読誦塔と刻まれた経塚がありましたが区画整理の際、宋乗寺に移されたと言う。
 長谷部家のシルバータワーの所から南側のライフゾーンまでの間は線路を自由に行き来が出来たそうです。
f0212142_6571245.jpg

[PR]
by micmacbig | 2010-02-09 06:44 | 田沼古道関連 | Comments(0)