どうも訂正の様です。

完成と思われた古道のルートですが、新たな資料に依るとそれとは異なる様相です。
従前の形を世襲しながら改訂版と絡んで進んで行った様です。
従って、今迄の説明は一旦白紙に戻したいと思います。

新たに判明したらまた投稿したいと考えます。

では。

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# by micmacbig | 2018-12-09 17:39 | 田沼古道関連 | Comments(0)

恐らくこんな感じでしょう 相良地区

相良大江地区の防災センター横に架かる「江湖橋」であるが、当然現在では車での通行可能な橋である。
が、意次氏はここを通らずぐるっと山側を回って駿遠線と絡み合う様に進んで行ったのには大井川町の相川地区と似通っている。
真っすぐ進めない地理的な物が要因となっている事が考えられる。
それを確かめる為に再度牧之原市役所を訪れた。
すると、予想した通り当時はここには橋は無く川幅も広く流水量も多かった様だ。
従って直進出来ず大きく迂回を余儀なくされたと断定出来る。
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書籍 古地図で楽しむ 駿河・遠江にこの様な絵が転載されている。
これを見ても川幅の広さを感じ、橋の無い事が描かれている。
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ここに相良地区の進路はほぼ決定的となりそのまま榛原、青島と繋がり勝草橋の袂で東海道と合流して約3日の短縮に成功して江戸に帰った事となる。

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# by micmacbig | 2018-12-07 17:18 | 田沼古道関連 | Comments(0)

新たなルート まだまだ先は見えない。

明治20年の地形図を見ると、相良の萩間川に向かう旧道と呼ばれている道が直角に曲がっている感が有る。
現在は150号線かの信号から斜めに進んでいるが果たしてこれは?と思い、牧之原市役所に出向いてみた。
明治時代の公図である。
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すると、赤色の道が2本(種類)見出せるが、現在の斜めの道は色も薄く地番も存在している。
それに対し直角に曲がっている道は色も濃く地番は無い。
これはその当時以前から道として存在していた事を示している。
榛原から西進している横須賀街道は当時はこの様にクランクで曲がり相良城に進んでいたと見られる。
推測であるが、後代になって不便さを感じ、新しい斜めの道を建設したと思える。

そして、そのまま萩間川沿いに進み神谷宅の西側を通り、駿遠線と絡み合いながら進んでいた。
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とすると、駿遠線との交点は以前ここであると思っていたお墓の所では無く、駿遠線が歩行者専用道路となる旧道との交差点と思える。

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この横須賀街道はそのまま福岡の町から旧道を進んで横須賀迄続いている。

それらを結びつけると田沼古道とはズバリ相良街道、横須賀街道で有る事が断定的となって来た。

古地図で楽しむ駿河・遠江より
「遠淡海地志」
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恐らく山側の道を進んだと言う説は何かの話しが尾ひれ等が付いてある意味誇張された形でおらが村の田沼街道と人々に伝承されたんではないでしょうか?

絵図等を見ても山側には道らしい物が見当たらない。
意次氏は経費節減、時間短縮を旨に下瀬越えを敢行した。
江戸からも馬や家来が複数で荷物その他を相良城に運び入れた。

等等の事を基にすれば山側の狭い道は使わないだろう。
横須賀城に通じる官道が有るのにも関わらず。

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本日の推測論です。
尚、後述ですが飽くまで推測を基にした個人の記述ですので真実は意次氏のみぞ知る!です。

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# by micmacbig | 2018-12-06 18:21 | 田沼古道関連 | Comments(0)

田沼古道 完成?

先日入手した明治20年の地形図です、
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この大江を見ると横須賀街道に当たる道に「田沼街道:と記されております。


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が、果たしてこれが意次氏が江戸に帰った際の古道かは解明しておりません。
従前の古道を拡幅して「田沼街道」として事は歴史に刻まれてはおりますが、帰路に使ったかはまだまだ疑問点です。

一応現時点ではこの街道(相良街道・横須賀街道)を使用した物と捉えております。

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# by micmacbig | 2018-12-04 05:55 | 田沼古道関連 | Comments(0)

田沼古道 実際

国立公文書デジタルアーカイブより天保時代の国絵図を見つけました。
国絵図ですのでかなり大まかでアバウト間が満載ですが横須賀城までの道のりが表示されております。

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これを見ると勝間田川を亘るとやや南西に道が認識され鹿島神社から北西の山側に進む道は見出せない。
この南西に進んでいる道をそのまま進むと萩間川を超えて相良城に進んでいる。
この相良城の位置には田沼詰所と読める事より相良城で有る事が判明する。
また、そのまま進むと絵図故方向感は正確では無いが横須賀に到着している。
従って、下街道から繋がっている横須賀街道、相良街道と断定出来る。

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現在の段階では山側に有ったのは普通の古道であり、意次氏が江戸に帰った道すがらでは無いと確信を持っている。

其の現れに、江戸からもこの下瀬越をして相良城に物品を運び入れたり数人の家来が相良入りをしている事より、幾ら現在とは異なると言っても
山側の狭い道は行かないと思える。
立派な街道が存在しているのに。
また、意次氏が街道を整備して江戸に帰ったのも経費節減がメインであるのでそこに街道が有るのにわざわざ時間と手間を割いて山側の狭い道は使わないだろう。
との解釈である。

恐らく、後代になって誰とも無しにその山側の古道を通ったと伝承されておらが村の田沼古道と伝わったんではないだろうか?

が、真実は意次氏のみしか分からず、恐らくそうで有ろうとの想像論での結論である。

その続きの駿河国の絵図です。
駿府城と田中城が確認できます。
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# by micmacbig | 2018-12-01 07:23 | 田沼古道関連 | Comments(0)