何故に大洲駅が現在の大東町のバス停であるとの説が出てきたのかは不明だが、恐らくは殆どの駅がバス停に変わっているので右に習えから発生しているんでしょうか?
1,2の駅を除けば線路と道路との交差点にあるのが駅である。
高洲駅を出発した軽便はのどかな志太平野の田んぼの中を現在の33号線の西側の歩道付近をゆったりと進み木屋川、栃山川を渡りながら現在のローソンの看板がある大洲駅に到達した。
対する、大洲中央線は飛行場とを結ぶ重要な道路であり、当時から3間幅はあった大きな所要道路であった。
線路、駅舎はイメージです。
そして、中央線を越えて上新田駅に向けた軽便は、現在のオリジンコーポレーションを通り超えて、猪原宅と小川宅との間の現存する廃線路としてその姿を我々に当時の面影を髣髴させてくれている。
尚、東名の袂に当時の信号機の痕跡があるが地元の方もあまり知られていない忘れ去られた存在であった。