八光山森林軌道

RM Ribraryの井川線の書籍により横井軌道を知ってその軌道を確かめた訳だが、同時に福用に「この「森林軌道」の名を見出し
追求してみた。
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その森林軌道は有ったらしいとの話は聴くが具体的な確証は掴めずのままであった。
地元でもこの古老なら何かを知って居るんではないか?と訪ねるも軌道は知らない。
木馬なら有ったよ。
との返事のみで有った。

横井軌道も一応解決して数ヶ月が経った先日新たな疑問が湧き出て現地に訪れる。
ネット上ではこの
が有りそれ以外は固有名詞すら無い状態である。


これは其の2であり、其の1と其の3が続いている。
が、此所でもその固有名詞は見出せていない。

そんな中興味ある山に入る道が有り、木馬で木材を運び出していたとの話を聞く。
かれこれ60年位前の事らしい。
これが軌道なのかと五和村の土地宝典を紐解くと今迄見なかった五和村全図にこの森林軌道と固有名詞を見出した。
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これは確かであると確信して島田市役所にて古公図を紐解くがそこには軌道の名はおろか
道としての印も無い。
有るのは水路としての水色の線のみである。
現在はそこはハイキングコースとして整備されていて当然歩ける。
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が当時は山の斜面を使っての木馬道だったので道では無かった事となる。
公図には道としては御立ち台に向かう道しか描かれていない。

そこで良く図面を見てみると軌道はそのハイキングコースより更に上から伸び将に御立ち台の所から山中に入っている。
この道は、あのグログの道すがらである。

そして、昨日福用の地にて大正14年生まれの古老からこの御立ち台からの道が軌道であったとの証言を頂いた。
その軌道は昭和の初期頃より駆動して終戦間際の昭和19年頃迄有ったとの事。

これでは、多くの現役者が知る由も無い。
現在その軌道に関しては彼の他には確認出来ないと思われる。
軌道は大井川鐵道に沿って進み福用駅の手前で其の役を終えた。
其の彼が使用した木馬が現在も存在していた。
恐らく博物館以外には無いんではないでしょうか。
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何時迄もお元気でいて下さい。


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by micmacbig | 2018-04-14 06:11 | その他の鉄道 | Comments(0)
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