江尻東3丁目の「大花」辺りから進んでいたと言うこの庵原軌道で有るが該当地番にその固有名詞が見出せないのに何故に其の様な表現が流布したのかが疑問である。
人々の伝承で恐らくあんな辺りと思われるの表現が一番手近なこの「大花」を示したんだろうか?
大花としては良き宣伝になっている。
路線で判明しているのは国土地理院発行の地形図と公文書と言える辻村誌の絵図が唯一である。
地形図から分かる事は殆ど真っすぐ進み江尻駅を過ぎた頃から左にカーブして旧東海道を横切り5叉路方面に進んでいる。
で重要ポイントとなるのが文印の海側を進み左に曲がる。
そして、辻村誌から省線の直ぐ左側に「軌道会社」が有り、地形図と同じ方向に進んでいる。
この線は、跡から加筆されたと思えるが別の図面には「庵原軌道」の固有名詞が記載されている。
これらからしてこの線が「庵原軌道」と断定出来うる。
絵図からは道と区画の線形が描かれていてこれが現在の駅前銀座のアーケードの形と類似している。
土地宝典の図面に分度器を与え角堂を見てみると、当方が予想している地点から将に駅前銀座と思われる。
これを「大花」の場所に当ててみると角度が開きすぎる事になる。
そして、地形図から旧東海道と江尻駅との距離関係を見てみると駅迄4に対して軌道は3の場所を通っている。
これは駅前銀座からの位置に合致してさつき通りとは異なる事が判明する。
これらから軌道は大花の省線よりの(当方は松乃寿司)隣地から駅前銀座を走って居た事が確定出来る。