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田沼古道 実際

国立公文書デジタルアーカイブより天保時代の国絵図を見つけました。
国絵図ですのでかなり大まかでアバウト間が満載ですが横須賀城までの道のりが表示されております。

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これを見ると勝間田川を亘るとやや南西に道が認識され鹿島神社から北西の山側に進む道は見出せない。
この南西に進んでいる道をそのまま進むと萩間川を超えて相良城に進んでいる。
この相良城の位置には田沼詰所と読める事より相良城で有る事が判明する。
また、そのまま進むと絵図故方向感は正確では無いが横須賀に到着している。
従って、下街道から繋がっている横須賀街道、相良街道と断定出来る。

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現在の段階では山側に有ったのは普通の古道であり、意次氏が江戸に帰った道すがらでは無いと確信を持っている。

其の現れに、江戸からもこの下瀬越をして相良城に物品を運び入れたり数人の家来が相良入りをしている事より、幾ら現在とは異なると言っても
山側の狭い道は行かないと思える。
立派な街道が存在しているのに。
また、意次氏が街道を整備して江戸に帰ったのも経費節減がメインであるのでそこに街道が有るのにわざわざ時間と手間を割いて山側の狭い道は使わないだろう。
との解釈である。

恐らく、後代になって誰とも無しにその山側の古道を通ったと伝承されておらが村の田沼古道と伝わったんではないだろうか?

が、真実は意次氏のみしか分からず、恐らくそうで有ろうとの想像論での結論である。

その続きの駿河国の絵図です。
駿府城と田中城が確認できます。
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by micmacbig | 2018-12-01 07:23 | 田沼古道関連 | Comments(0)
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