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新たなルート まだまだ先は見えない。

明治20年の地形図を見ると、相良の萩間川に向かう旧道と呼ばれている道が直角に曲がっている感が有る。
現在は150号線かの信号から斜めに進んでいるが果たしてこれは?と思い、牧之原市役所に出向いてみた。
明治時代の公図である。
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すると、赤色の道が2本(種類)見出せるが、現在の斜めの道は色も薄く地番も存在している。
それに対し直角に曲がっている道は色も濃く地番は無い。
これはその当時以前から道として存在していた事を示している。
榛原から西進している横須賀街道は当時はこの様にクランクで曲がり相良城に進んでいたと見られる。
推測であるが、後代になって不便さを感じ、新しい斜めの道を建設したと思える。

そして、そのまま萩間川沿いに進み神谷宅の西側を通り、駿遠線と絡み合いながら進んでいた。
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とすると、駿遠線との交点は以前ここであると思っていたお墓の所では無く、駿遠線が歩行者専用道路となる旧道との交差点と思える。

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この横須賀街道はそのまま福岡の町から旧道を進んで横須賀迄続いている。

それらを結びつけると田沼古道とはズバリ相良街道、横須賀街道で有る事が断定的となって来た。

古地図で楽しむ駿河・遠江より
「遠淡海地志」
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恐らく山側の道を進んだと言う説は何かの話しが尾ひれ等が付いてある意味誇張された形でおらが村の田沼街道と人々に伝承されたんではないでしょうか?

絵図等を見ても山側には道らしい物が見当たらない。
意次氏は経費節減、時間短縮を旨に下瀬越えを敢行した。
江戸からも馬や家来が複数で荷物その他を相良城に運び入れた。

等等の事を基にすれば山側の狭い道は使わないだろう。
横須賀城に通じる官道が有るのにも関わらず。

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本日の推測論です。
尚、後述ですが飽くまで推測を基にした個人の記述ですので真実は意次氏のみぞ知る!です。

by micmacbig | 2018-12-06 18:21 | 田沼古道関連 | Comments(0)
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