2018年 02月 12日 ( 1 )

友田信号場 第1楽章

明治22年に国鉄が開通し、
この金谷〜堀之内(菊川)間は約10‰の高低差が有り尚かつ菊川の流れに沿ってS字カーブが続き難所と言われた場所と言われていた。
重い蒸気機関車は人間の歩くのと同じ位のスピードに落ちて後ろから援軍の力を借りないとトンネルを潜れない状態だった。
そこで、中間地点辺りに平坦地の秋常段に明治40年に友田信号場を設立して遅い蒸気機関車をスイッチバックで待避させダイヤを安定させました。
との歴史的記述が有ります

秋常踏切の菊川方面に線路に沿って待避路の跡が列車からも確認出来る程残っております。
この待避路は約500m程有る西端で行き止まりとなります。

信号場は秋常踏切の東側有名な大カーブの手前に有りました。
10坪位でしょうか?4人程の職員さんが従事していたそうです。
電化が始まり必要性の無くなった信号場は昭和の24年に廃止となり、建物はそのまま昭和の50年代迄残っていたと聞きますが
正式な解体日は不明です。

又下倉沢小字秋常段なのに友田と命名されたのも不明ですね。
恐らく倉沢の方が知名度が高い様な気がしますが・・・

河城村郷土史の一文です。
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公図を見てみましたが残念ながら固有名詞は見出せませんでした。

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が、近隣の古老の方々からの証言でこの地に信号場が有った事は確認で来ました。
其の一人のYさんのお爺さんが信号場にお勤めで良く行った事が有るそうです。
明治の地形図です。
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中央の曲線は秋常踏切です。

現地入りをしてみました。
茶畑横の赤道の眼前にしっかりと用地杭が歓迎してくれております。
まあ、何と言っても用地杭が正式な証となりますね。
東側の用地杭

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其の向こう側には線路が。
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その存在は知っていないだろうJR電車が
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西側はこんな感じ。
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並んでいるコンクリは分かりませんね。

線路沿いの黄色の用地杭。
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信号場とは関係無いですが昔はここにも踏切が有った様です。

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この切れ目が関係しそうですね。
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待避路の手前にも用地杭がお出迎えです。
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待避路跡の所ですが何か関係が有るんでしょうか?
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そしてスイッチバックさせた待避路跡です。
また、この工場の場所辺りに信号場の官舎が有った様ですね。
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そして、極め付きですが信号場の建物の遺構と思われます。
但し確認は取れていませんのでこんな物が此所の有るが・・・の感です。

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さてさて、果たしてその実態は・・・
まだ調査し初めですので足りない点異なっている点有ると思います。
お気づきの方はコメントをお願い致します。


詳しくは鉄道ビクトリアル790号の大庭先生の論文が一番参考となります。
それと、堀之内軌道でもお世話になった同じく大庭先生の「菊川地域鉄道史」が詳しいですね。



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by micmacbig | 2018-02-12 03:41 | その他の鉄道 | Comments(0)