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大倉組製材工場 アンコール

最終章で壮大なフィナーレを迎えたこの大倉組ですがその後の調査でやはりこの養護学校の地に大倉組の工場が有った事が法務局の書類で確定となりました。
「静岡県木材史」等の書籍や、古公図、地元の古老の伝聞等からかの地に有ったとされていましたが、先日法務局の土地台帳を紐解くと該当地版にしっかりと「大倉組」の所有したとの戸籍が記載されていました。

これらの、書籍、公図、伝聞に合わせてこの広大な地に工場の稼動が有った事を証明致します。

現在のブルーマップ
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旧公図
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台帳の一部
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該当部分の拡大
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法務局の証
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大倉組が所有していた地番の各々
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やれやれです。







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by micmacbig | 2018-07-01 06:41 | その他の鉄道 | Comments(0)

大倉組トロッコ軌道 最終楽章(恐らく)

手探りでの大倉組トロッコ軌道探索であったが本日地元の古老からの証言を得て恐らくこれが最終予想と思われます。
兎に角正式、公式なデータ。図面無しでのスタートで法務局での古公図と土地宝典。航空写真からの情報と近隣の聞き込みの点と点を繋いでの
探索であった。
ここは、浜野の陸軍射撃場へのトロッコ路線と共通しているがこちらはある程度資料も有ったし時間的にもまだ数十年前の事項であるが今回は1世紀もの時間が経緯した案件であるので人々からの情報も希有に等しい案件である。

大凡は入手出来る資料からラインは表現出来るが詳細な部分はどうしても欠如する。

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そんな中本日地元の古老から有益な証言を得られた。
50数年前嫁いで来た古老はその大おばあちゃんからこの話を聞いていた、そして覚えていた。
話の依ると、現養護学校の場所に大倉組の製材工場は有った。
大きな貯木場が有り川を利用して島田の方から木材を流して製材していた。
それをトロッコで運んだ。

将に「木材史」そのもののお話である。

これらから、先の古老の話、古公図の赤道と橋らしき表示、を合わせると確かにこの地に製材所が有った事が証明出来る。
近隣の古老はこの養護学校の地区を「おおくら」と呼んでいたそうです。
また、ここからの軌道も「トロッコ道」と称して駅方面への通行に利用したそうです。
各地に軽便等の廃線路を「けいべん道」とか「電車道」と称していたのと同様である。

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トロッコはこの赤道を北上して古老の家の直ぐ隣りを田圃のあぜ道としてしっかりと残っている。
現在は家々に囲まれ公道としてその場所に行く事は不可能です。
当方は案内して頂き古老の家の中を入り裏木戸からあぜ道に案内してもらった。
そこから、住宅の中を進み、ようやく車でも走れる廃線路が現われる。
この地区は斜め道がクロスする様に絡み合い一つ間違うと違う場所に行ってしまう感じの
場所となる。

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そこからまた、住宅地に行く手を阻まれ大回りをして廃線路に戻りこの路線の中でも一番らしい箇所が迎えてくれる。
当然軽自動車やっと位の道なので前方からやってくるとバックして譲り合わなければならない。
其の感じが如何にも廃線路のダイナミックさである。

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其の姿がこの動画で有る。






が、その興奮度も現在の都市計画の中に夢の一夜で終演して新しい住宅街が出没する。
従ってそこを通る事は不可能であるがこの家のこの辺を通っていたんだなと想像するのがまた楽しみである。
ローソンの東側の田圃から焼津信用金庫の東側を抜けて現在の県道に出会う。
其の県道の東側部分を北上してくと眼前に藤枝製紙を見定めるこの工場は現在の高架橋の有る県道から見ると東北に斜めに設置している
これは、良く有る姿であるが製紙工場が当時有った道に沿って造られ後代に都市計画で真っすぐなラインの県道が建設されたので
この様なある意味いびつな光景を生んでいる。
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従ってこのセンプクの前辺りが異様に拡い歩道部分が存在している。
これは廃線路と新たに建設され造られた県道の歩道部分とのコラボではないでしょうか!

この「斜めの線」こそが駿遠線を筆頭に当時の姿を表している大変美しい線である。
そして、路線は完全に都市計画された住宅地に遭遇しその当時を偲べる物は皆無となる。
が、ここに当時廃線路と並んで流れていた水路が有り、その痕跡とも言える道路とやや振っているグレーティングが有った
これはまだ推測の段階であるが当時から有った水路を暗渠にした姿ではないだろうかとワクワクしている。

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そして、終焉を向かえトロッコ路線は省線に平行して駅に通じて貨物を詰め変えた。。

が、推測の世界では有るがストーリーと考えている。

兎に角公式、正式な物では無く全てが推測論での話である。

一応公的な資料として、大洲村誌には製材所が有ったとの記述は有るが言葉のみである。
また、東海パルプ90年誌にも軌道で駅まで運んだとの記述は有るがそれのみである。

公図関連も嘗てこの様な道が有りましたのみでかの「横井軌道」の様な軌道などの記述も無い。

兎に角無い無いずくしであった。

一応これが最終とするがまだ新しい事実が出て来て再最終楽章を書きたい物だと願う次第である。

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by micmacbig | 2018-06-10 17:06 | その他の鉄道 | Comments(0)

大倉組製材工場 第3楽章

路頭に迷った大倉組であるが市役所からの古公図で該当番地を紐解くと現在の駅からの県道の位置となる事が判明した。
従って南北伸びた白い線はこの県道を表している線となる。
その間の場所には赤道は記載されていないので取りあえず矛先を養護学校に絞り精査してみた。
かの場所は、近隣の古老の話し、「静岡県木材史」と合致する。
そして、南側に有る新川は島田市に入ると「芝地川用水」として現在も其の名が残されている。

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ここで、何かが出るかと法務居に出向き紙図をを見出す。
すると、これが何を示すのかは不明であるが該当地区から栃山川を超えて北に伸びる赤道が有る。
軌道跡と考えても可笑しく無い線である。
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赤道と赤道の間の栃山川上には橋とも解釈出来る白い線が有る。


が、1646年以降の航空写真を見てもこの地点での橋的な物は確認出来ない。
それも当然と思われる。明治の中期に工場を閉鎖して軌道も用途無く廃線となったので橋も撤去した事は
用意に想像出来る。
当然、何人かの方にお聞きしてもこの辺りに橋は無かったよの返答であった。
                   
1946年

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1962年
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1988年
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1946年の→は当初橋と思い込んだがどうも異なる様だ。

物的証拠の無い過去の物を蘇らせるのは推測論や仮定法をの積み重ねとなる。

市役所関連でも、法務局関連でも当然近隣関連でも知る人はいないこの将に幻の軌道である。

従って偏在の時点では未解決の軌道で有る。


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by micmacbig | 2018-05-25 19:20 | その他の鉄道 | Comments(0)

大倉組製材工場 その2

判明しないが今回ものテーマであるが、本日「東海パルプ 60年」誌を紐解いてみた。
まあ、木材史含め元データは大体一緒なので書き方も類似しているのは致し方が無い。
この60年誌に依ると大倉はかの地に8町歩の土地に製材場を建設したと言うからその広大さは恐るべきである。
1町歩が3000坪故2,4000坪なる広大さである。
地目は田であるので単価は安いが仮に坪1万円としても土地代だけで2億4千万もの投資だ。
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果たして、この製材場は一体何処に有ったのか?
近隣の古老は現在の養護学校の所と説明してくれた。
確かに栃山川と新川に鋏まれ、静岡県木材史とは合致する。
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仮にこことすると、軌道は一体何処に。
古公図の線はもっと東である。
出所が同じと思える「木材から」誌と「60年」誌は
栃山川と木屋川の交点の東を示している。
これは公図とも合致していると思える。
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(尚、赤線は単なるメモで意味は無いです)

タイムマシーンが欲しい物だ。



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by micmacbig | 2018-05-23 17:58 | その他の鉄道 | Comments(0)

謎のトロッコ路線 大倉組?

横井軌道を調べて行くうちに段々と左右に視点が拡がり本来の姿とは変わって行く事は良く有る事です。

木馬道を調べる為に購入した「木材から再生紙展」誌に興味深い内容が有った。
我が藤枝に大倉組の製材所が有ったとの事。
地図で見ると、現在の明誠高校の近隣で有る。
大井川上流で切り出した木材を栃山川から木屋水門を通じ現小川港まで運び海運で江戸まで運んだとの事。
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また「島田木材業発展史」に依るとそこから藤枝駅迄軌道と敷いて木材を運んだとの事。 
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これは、大変興味ある内容である。
が表面には出ていない内容で素有るので例に依って手探りで調べて行くしか無い。
近隣の古老に訪ねた範囲では知らないとの返事のみであった。
まあ、当然の事でしょう。

そこで、市役所にて古公図を紐解くとこんな図面が見つかった。
固有名詞は書かれてはいないが何やら怪しげな線(面)が有る。
一体これは???
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この地区は昭和30年頃の土地改良で物の見事に過去を埋没させた地区で何が何だか分からない地区である。
ちなみに法務居でも同様な図面を見たがかえって煩雑さを感じた。
此の図面は該当する一部故チンプンカンプンですが、南は栃山川まで此の線が通じ何やら軌道的な要素は醸し出している。
1946年の航空写真を見ると。この栃山川と木屋川との間に何やら工場的な物を感じる。
これが製材所の成れの果ての姿なのか?
立地的に見れば大井川から栃山川で此所迄運び製材して、両川に流し入れ水運で運び出したと考えられる。
すると、この南北に描かれている線は駅迄の軌道と考えても可笑しくは無い。
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Aの線が駅から伸びている県道。
Bがでは無いかと思われる里道。


製材所が何時頃存在していたかは不明であるが、
運ぶ要素も終了してその軌道が生活道路に変身する例えは駿遠線も含め多々存在する。
1946年以前のデータが無いので比較は出来ないが、明治年間は住んでいる方も希少の地域と考えられる。
そして、時代が進み生活道路が完成するとそこに人が集まってくるのは自然な姿である。

このBの道路を北に進んむと数軒の民家が有る。
よく見れば家々の西側には道が存在している。
が土地改良に依って現在ではこの道は消滅している。
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現在では無いが、1946年には有ったと言う事はそれ以前も有ったと想定出来る。
そして、この里道は変形はしているが栃山川迄行っている。

ここがトロッコ路線と断定は材料不足で言えないが思いたい!が心境でしょうか。




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by micmacbig | 2018-05-20 08:11 | その他の鉄道 | Comments(0)

「横井軌道」Intermezzo

Intermezzo と言うと間奏曲で本題とは全然関係が無いがまあ、個人の戯れ言と。
これが有名ですね。

https://www.youtube.com/watch?v=1V9kMKS9E2o
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さて、その本題だが結末を迎えたつもりの本軌道だがその後の精査で大井川まで軌道が続いていた様だ。
当初は大井川から貯木場に木材を集積してそこから加藤製材を経由して島田駅南側迄軌道が有ったと解釈していたが
スタンフォード大学提唱の地形図を見ると新たな軌道を認識出来た。

そして、土地宝典上では、
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加藤製材の南側の架線辺りから一つの道と思われる線が大井川迄存在している。
又この路線と思えるラインは加藤製材の南側で農林省の地と繋がる感が有る。
とすれば材木を運搬する為の何かと考えられそうだ。

当時の公図を紐解くと5356−3という地番で構成されている。
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これらの3つのラインは共通していると考えられる。

そして、「島田町誌」という郡誌に納められなかったデータを集積した資料を見てみると
この様な記述を見出せた。
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ここに森某という固有名詞を見つける。
今迄加藤製材と認識していたが新たなる展開と思える。
この森某はこの冊子に出て来るが同一かは不明で有る。
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当初軌道は現マルハンの北側の市道に沿って有ったと考えていたが、
これから推測するに駅側から来た軌道は製材場を通り抜け南側に抜けていたか
2本の別な軌道が有ったと想像される。

1962年の航空写真を見るとこのラインが認識出来る。
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改めて見直すと軌道は北側ではなく製材場の中に入り込んで切る様だが?
今後の課題です。
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by micmacbig | 2018-05-06 07:40 | その他の鉄道 | Comments(0)

八光山森林軌道 第3楽章

先にも記した様にこの軌道を認識したのは五和村の土地宝典からだった。
通常の土地宝典はアナログの書籍であるが今回の宝典はこちらのDVDに収録された宝典である。
金谷図書館にて見つけ係員から制作者を紹介頂きその制作者から購入した物である。
当然購入ですので対価は発生するが、これがこのお値段で良いの〜??と言うバーゲンか書くと言うかボランティア価格である。
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このDVDには宝典の他村誌や、貴重な写真の数々が収録され将に宝典である。

ご希望者は是非お尋ね下さい。

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ちなみに当方が所有しているのは相良の宝典です。
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by micmacbig | 2018-04-18 16:33 | その他の鉄道 | Comments(0)

八光山森林軌道 第2楽章

先日の精査でこの御立ち台からの山中に入る林道が「八光山森林軌道」で有った事が確定されたが、
改めて国土地理院の地形図を見直してみた。
当初は単に固有名詞を探すのみで見ただけだったが、改めて見直すと色々判明して来た。

先ずは明治20年の地形図です。
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大井川鐵道もまだ無い時で有る。
次に大正5年
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其の地形図に開通したばかりの大井川鐵道が補入されている昭和5年
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そして時は流れ昭和15年を見ると。
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高熊トンネル辺りからの光景に変化が見られる。

そして、昭和31年になると見慣れた現在の姿と化している。
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この昭和15年の地形図がキーマンである。
高熊トンネルから左の山中に伸びる線が見えるが、これを拡大すると
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軌道の軌とも読める文字と国土地理院の下記の地図記号らしき物を感じる。
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ここの文字と思われる物を改めて見直しました。
すると期待も込めてこんな風に見えました。
如何でしょうか?
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とすれば公的図面の国交省の地形図に固有名詞が称されている事となります。

これと先の五和村の土地宝典と照らし合わせると森林軌道で有る事は明白の理と感じる。
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そして昭和31年には言葉、記号とも存在しない事から軌道は存在し無い事となる。
これと、先の福用の地で伺った古老の話と合致する。
やはり、終戦間際の昭和19年に廃線となり其のレールは軍に没収されたと予想される。

何分駆け足での精査ですので不足点多々有ると思われますので他の情報有りましたらご連絡を宜しくお願い致します。





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by micmacbig | 2018-04-16 06:18 | その他の鉄道 | Comments(0)

八光山森林軌道

RM Ribraryの井川線の書籍により横井軌道を知ってその軌道を確かめた訳だが、同時に福用に「この「森林軌道」の名を見出し
追求してみた。
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その森林軌道は有ったらしいとの話は聴くが具体的な確証は掴めずのままであった。
地元でもこの古老なら何かを知って居るんではないか?と訪ねるも軌道は知らない。
木馬なら有ったよ。
との返事のみで有った。

横井軌道も一応解決して数ヶ月が経った先日新たな疑問が湧き出て現地に訪れる。
ネット上ではこの
が有りそれ以外は固有名詞すら無い状態である。


これは其の2であり、其の1と其の3が続いている。
が、此所でもその固有名詞は見出せていない。

そんな中興味ある山に入る道が有り、木馬で木材を運び出していたとの話を聞く。
かれこれ60年位前の事らしい。
これが軌道なのかと五和村の土地宝典を紐解くと今迄見なかった五和村全図にこの森林軌道と固有名詞を見出した。
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これは確かであると確信して島田市役所にて古公図を紐解くがそこには軌道の名はおろか
道としての印も無い。
有るのは水路としての水色の線のみである。
現在はそこはハイキングコースとして整備されていて当然歩ける。
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が当時は山の斜面を使っての木馬道だったので道では無かった事となる。
公図には道としては御立ち台に向かう道しか描かれていない。

そこで良く図面を見てみると軌道はそのハイキングコースより更に上から伸び将に御立ち台の所から山中に入っている。
この道は、あのグログの道すがらである。

そして、昨日福用の地にて大正14年生まれの古老からこの御立ち台からの道が軌道であったとの証言を頂いた。
その軌道は昭和の初期頃より駆動して終戦間際の昭和19年頃迄有ったとの事。

これでは、多くの現役者が知る由も無い。
現在その軌道に関しては彼の他には確認出来ないと思われる。
軌道は大井川鐵道に沿って進み福用駅の手前で其の役を終えた。
其の彼が使用した木馬が現在も存在していた。
恐らく博物館以外には無いんではないでしょうか。
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何時迄もお元気でいて下さい。


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by micmacbig | 2018-04-14 06:11 | その他の鉄道 | Comments(0)

フェニックス 大鐵

大井川に沿って走っている大鐵は風光明媚な大井川とその反面水害との戦いでした。

昭和44年 駿遠線の廃線1年前の8月 台風7号により大打撃を受けました。
特に塩郷駅は川面に至近距離でしたので土砂を浚われ線路は宙づりとなってしまいました。
その間乗客は歩いて乗り換えて不便したとの事でした。
この様な事はどの時代、地域にも起こった事ですが先日当日の静岡新聞を見る機会が有りましたので
忘れてはいけない歴史のひとコマとして共有したいと考えます。

このカラーでの写真です。
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大井川の怖ささえも伝わって来ます。

線路は宙ぶらりん
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カラーと同様 線路は埋没
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鉄道ピクトリアル誌の記事です。
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が、今被害にも負けずに復旧を目指します。
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これらの歴史を克服してトーマス号に繋げました。

これからも頑張って下さい。


赤カレーもお勧めですよ。
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by micmacbig | 2018-03-26 06:27 | その他の鉄道 | Comments(0)