カテゴリ:その他の鉄道( 95 )

友田信号場 第2楽章

信号場に関して地元の古老から重要な証言を得て、友田信号場が有った場所の特定が出来ました。

第1楽章にて精査した所がやはり信号場の位置でした。
只、残念なのは公的データで正式に信号場としての固有名詞は得られませんでしたので、完全に!ではないですが
様々なデータに依ってこの場所を確定致します。
f0212142_05534882.jpg
お父上が務めていたと言う古老は現地迄案内してくれて信号場はこの辺で詰所がこの辺でとしっかりとした口調で説明されました。
お話から3つの建物が有り、東から信号場本屋、寝泊まりなんかする詰所。そして保線小屋が有ったらしいです。
信号場の廃止により信号場本屋、保線小屋と解体され昭和の終わり頃迄詰所は存在していたとの事です。

f0212142_05552653.jpg

で、其の詰所の基礎部分が何故かは知りませんが現在迄残っております。
それが先般のコンクリ物です。
草を掻き分け見てみると、角の形状をしており益々これから建物の存在が確定出来ます。
f0212142_05563357.jpg

f0212142_05563358.jpg

f0212142_05563249.jpg





まだまだ、不足している部分が有りますが今後の宿題としてです。



[PR]
by micmacbig | 2018-02-15 06:00 | その他の鉄道 | Comments(0)

友田信号場 第1楽章

明治22年に国鉄が開通し、
この金谷〜堀之内(菊川)間は約10‰の高低差が有り尚かつ菊川の流れに沿ってS字カーブが続き難所と言われた場所と言われていた。
重い蒸気機関車は人間の歩くのと同じ位のスピードに落ちて後ろから援軍の力を借りないとトンネルを潜れない状態だった。
そこで、中間地点辺りに平坦地の秋常段に明治40年に友田信号場を設立して遅い蒸気機関車をスイッチバックで待避させダイヤを安定させました。
との歴史的記述が有ります

秋常踏切の菊川方面に線路に沿って待避路の跡が列車からも確認出来る程残っております。
この待避路は約500m程有る西端で行き止まりとなります。

信号場は秋常踏切の東側有名な大カーブの手前に有りました。
10坪位でしょうか?4人程の職員さんが従事していたそうです。
電化が始まり必要性の無くなった信号場は昭和の24年に廃止となり、建物はそのまま昭和の50年代迄残っていたと聞きますが
正式な解体日は不明です。

又下倉沢小字秋常段なのに友田と命名されたのも不明ですね。
恐らく倉沢の方が知名度が高い様な気がしますが・・・

河城村郷土史の一文です。
f0212142_17554387.jpeg

f0212142_17554315.jpeg

公図を見てみましたが残念ながら固有名詞は見出せませんでした。

f0212142_18272945.jpeg
が、近隣の古老の方々からの証言でこの地に信号場が有った事は確認で来ました。
其の一人のYさんのお爺さんが信号場にお勤めで良く行った事が有るそうです。
明治の地形図です。
f0212142_18021526.png
中央の曲線は秋常踏切です。

現地入りをしてみました。
茶畑横の赤道の眼前にしっかりと用地杭が歓迎してくれております。
まあ、何と言っても用地杭が正式な証となりますね。
東側の用地杭

f0212142_18092719.jpg
其の向こう側には線路が。
f0212142_18093537.jpg
その存在は知っていないだろうJR電車が
f0212142_18095701.jpg
西側はこんな感じ。
f0212142_18102188.jpg
並んでいるコンクリは分かりませんね。

線路沿いの黄色の用地杭。
f0212142_18140881.jpg
信号場とは関係無いですが昔はここにも踏切が有った様です。

f0212142_03501981.jpg
f0212142_18154603.jpg
この切れ目が関係しそうですね。
f0212142_18162939.jpg
待避路の手前にも用地杭がお出迎えです。
f0212142_18180346.jpg
待避路跡の所ですが何か関係が有るんでしょうか?
f0212142_18191042.jpg
そしてスイッチバックさせた待避路跡です。
また、この工場の場所辺りに信号場の官舎が有った様ですね。
f0212142_18205228.jpg
そして、極め付きですが信号場の建物の遺構と思われます。
但し確認は取れていませんのでこんな物が此所の有るが・・・の感です。

f0212142_18225327.jpg
f0212142_18225557.jpg
f0212142_18225675.jpg
さてさて、果たしてその実態は・・・
まだ調査し初めですので足りない点異なっている点有ると思います。
お気づきの方はコメントをお願い致します。


詳しくは鉄道ビクトリアル790号の大庭先生の論文が一番参考となります。
それと、堀之内軌道でもお世話になった同じく大庭先生の「菊川地域鉄道史」が詳しいですね。



[PR]
by micmacbig | 2018-02-12 03:41 | その他の鉄道 | Comments(0)

2本の沢

居林駅を形成している2本の沢を見てみました。
凄い幼稚な線ですがあくまでこんな感じと言う事で。

f0212142_06540653.jpg

悪沢暗渠が8K400辺り
上の沢開渠が8K600辺り



[PR]
by micmacbig | 2017-12-28 06:55 | その他の鉄道 | Comments(0)

「居林駅」その後

場所の関係でなかなか辿り着かない大井川鐵道「居林駅」ですが、列車に乗って確かめた以外は対岸からの撮影以外は不可能で有る事が
判明した。
線路上の歩いて行けばこれは簡単ですが大鉄ファンとしては出来ない芸当です。
対岸の神座側から川渡りして行けば到着出来ない事は無いが腰迄有る長靴使用でないと普通の長靴ではいくら水量が少ないこの時期でも
無理でした。
国道側からひよどり越えもどきで試みても他人様の茶畑に侵入せざるを得ないので行く事が可能としても線路同様出来ない芸当ですね。
歌の文句ではないが「もしも 僕の 背中に〜 羽根が 生えてたら〜〜」の心境です。

横岡方面から川岸沿いで行けそうでは有りますが竹薮の群生でそこには猪さん達が住み着いているとの事。
人が入らない場所で竹薮ですのでタケノコは食べ放題ですので将に彼らにとっては天国の様な所です。
聞くと横岡の地区にも出現するとか。

f0212142_15474261.jpg

対岸からの駅跡です。
f0212142_15261300.jpg
其の全景です。
f0212142_15262847.jpg
すると。千頭行きのトーマス君がやって来ました。
f0212142_15312067.jpg
ちょっと分かりづらいですね、アップしてみます。
f0212142_15325915.png
473側に回ってひよどり越えの場所です。
f0212142_15353095.jpg
開通前の地形図です。
f0212142_15485991.jpg
土地宝典での図面です。
f0212142_15365215.jpg
473上です。この電柱が目印でしょうか。
f0212142_15391442.jpg
下に行く作業用の通路らしき物が有りました。
最近は使用されていない様ですね。
f0212142_15402100.jpg
ゼンリン地図にも表われている2本の沢です。
f0212142_15420218.jpeg
金谷側の沢。埋め尽くされております。
f0212142_15431195.jpg
f0212142_15433125.jpg
悪沢暗渠と呼ぶらしいです。

神尾側の沢
f0212142_15455352.jpg
f0212142_15461602.jpg
f0212142_15464367.jpg
上の沢開渠との事。
これが出口の様です。
f0212142_15585608.jpg
千頭の資料館に有る縦断面図を見るとこんな感じでしょうか。
f0212142_16065169.png
何時になるんでしょうか?行き着けるのは???



[PR]
by micmacbig | 2017-12-24 16:10 | その他の鉄道 | Comments(0)

横井軌道 判明

RMライブラリーにて見つけた図面です。

f0212142_06060386.jpeg
前回、暗礁に乗り上げ挫折しかかった探索ですが、方向を公図探索に切り替え法務局に出向きました。
が、そこからは何も発掘されずと言うか、法務局ではピンポイントの図面しか出してくれないので
地番が少し違うと目的の物が発見で来ません。
かといって闇雲にその辺を出してもらうと料金が発生しますのでとんでもない金額になってしまいます。
その辺が雄図の聞かないお役所ですね。

で、待っている間に備え付けのブルーマップを見ていると何やら現在とは違う様相が描かれていて
明らかに証拠となる名称が有りました。が、それが何年の発行なのかが記載されていません。
伺うとコピーをした物で局としても何年のをコピーしたかが掴んでいないとの事です。
が、兎に角マルハンの所には加藤某という地主さんの名前が有ります。
これは先般地元で聞いたお話と合致します。

で、その足で図書館に向かい探してみると土地宝典が有りました。
宝典は見にくいので有名?ですが何やら斜めの細い線が有ります。
コレッっぽい。聞いた話と同じ線です。
が、残念ながら軌道の記載は有りませんでした。
f0212142_06050498.jpeg

f0212142_06052180.jpeg
間違いの無いと確認して、島田市役所に出向きました。
租税の関連で古い図面を納税課では保管している例が多いので
伺ったら大ビンゴでした。
宝典と同様の斜めの線が有り、そこには地目の雑種地の下に軌道の名称が記載されていました。

f0212142_06040402.jpeg

f0212142_06054686.jpeg


此れ等に依り確かに「横井軌道」が存在していた事は間違いの無い事実でした。

f0212142_06044501.jpg

f0212142_06085626.jpg

が、正式に何時作られ、何時廃止されたかは以前として不明ですが、聞いた範囲での話では
明治30年頃加藤製材が出来、戦後間もなくの頃廃止となって居る様です。
また、その廃止された要因として大井川のダム建設により水運での木材の運搬が不可能になった故らしいですね。
そこで、加藤製材は島田駅西側の所で鉄道に依る運搬し、新たに製材業を開始した様です。
が、外材の流入やら清水への製材業の変遷やらで島田全般的に製材業が衰滅してきました。

地元でも忘れ去られたこの「横井軌道」,島田軌道同様歴史上の重要点として残しておきたい物です。

[PR]
by micmacbig | 2017-12-14 06:09 | その他の鉄道 | Comments(0)

横井軌道 その後

地元でも殆ど知らないらしいこの「横井軌道」ですが、どうやら暗礁に乗り上げた様です。
そのルートは在の古老から点と点を繋ぎ合わせ完全では無いが判明していますが開始時期や撤去時期等の詳細に関しては不明なままである。
島田市役所で伺うが当然知らない、書類も無いでお手上げ。
島田駅でも同様。
資産を監理している末裔の加藤企業ですらもそれらの記録は残っていないし記憶も無いと。
これでは、もりかけ問題と同様ですよ。
まあ、私企業の軌道ですので致し方が無いと言うしか。

諸事情でマルハンの場所から島田駅西側の現在駐車場になっている場所に移転して操業していてJRからの引込線が有り
材木を運んでいたらしいがその引込線も何時頃引いて廃止になったかの資料も現時点では判明して居ない。
将に四面楚歌の状態である。

S氏より頂いた島田駅の構内配線図です。
この加藤商事と書かれているのが引込線と思われます。
f0212142_06204632.jpg
昨日の当地の写真です。
引き込んだと思われる部分が膨らんでおります。
f0212142_06224221.jpg
傍に住んでおられるご婦人にお伺いすると昭和の50年代と記憶しているが材木を運んだり下ろしていたのは見た事が
有るが何時頃線路が無くなったかとかは記憶が無いとの事。
やはり、近隣でも関心が無いと記憶は亡失してしまいますので。

かの地で製材業を止めてから大阪セメントに貸してあった時代が有った様です。
このページに詳しく出ておりました。
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-d85a.html

f0212142_06281347.jpg

f0212142_06281367.jpg

恐らくこれ以上のデータは出て来ないと危惧しております。





[PR]
by micmacbig | 2017-11-23 06:29 | その他の鉄道 | Comments(0)

横井軌道を歩く

RMライブラリーの井川線を久しぶりに読み返した時、以前は気がつかなかった「横井軌道」と言う単語が目に付いた。
「島田軌道」は有名ですがさて、横井?
確かに島田駅南地区も昔は製材業は盛んだったから運ぶ為の何かが有っても不思議では無いなと思いやおらググってみたが
何も引っ掛からない。
で、お膝元の島田図書館で検索しても単語一つも出て来ない。
さてさて、それは何だろう?でお得意のアナログ作戦で駅何地区を彷徨くが知らないの一点です。
すると、通りから右にカーブしている小路が有った。

f0212142_05502293.jpg
これは古くから有った小路に違いないのでここに住んでいる方に聞けば何かヒントが得れそうだと
家並みを物色すると(空き巣ではないですよ)とあるお宅に目が付いた。
伺うと、何とビンゴでした。
84のご主人は列車は見た事は無いが家の畑の横に線路が有ったのは覚えていると。
それは、現在のマルハンの方に進んでいたとの事。
で図書館で入手した昭和14年の地形図を見させると恐らく此の線だろうと教えてくれた。

f0212142_05401431.jpeg

f0212142_05403556.jpeg

その日は他の用事が有った為、後日その先を徘徊。
この横井地区は都市計画に依って大幅な改造がされている地区ですが奥の方に進めばまだ昭和のテイストがプンプン臭う素適な地区です。

すると、何やら通りから斜めのお宅が有った。これって臭いなとお伺いにお邪魔するがお留守。 残念なり。
辺りを彷徨くと一人の古老が畑をしていたので伺うと其の方はお嫁に来た時には線路も無かったがそんなのが走っていたと話は聞いたとの事。
それはやはり先程のお宅の辺りらしい。

f0212142_05344382.png

そして、その先に進むと駐車場の先に斜めのフェンスを見つける。
そこにはご婦人が草取りをしていたので伺ってみると、やはり見た事は無いがこの辺に有った事は聞いた事が有ると。
そこは先程の家から繋がります。

f0212142_05332346.jpg

そしてその先を進むと眼前に横井の古老がお話ししたマルハンが有ります。
広大な敷地です。が、駐車場の形がしつかり区画されていない様な何やら昔のそのままを感じました。
そして、其の道路の草むらがそれこそ昭和そのものです。
確かにこれは臭いますね。

f0212142_05362154.jpg
f0212142_05321021.jpg

f0212142_05370101.jpg

このガードレールは何だろう。道路拡張でも有るのかな?とその先を見るとここのお宅の方だろうと思われる古老が居られました。
空かさずお聞きすると、大ビンゴでした。
当時からここにお住まいでこのトロッコにも乗った事が有るとの事。
このガードレールとマルハンとの間が軌道跡とのお話でした。
道路はその昔から有った様です。
f0212142_05391008.jpg

それは、現在のマルハンが当時は「加藤製材所」という大きな製材屋さんでした。
ここで製材した木材を島田駅に運ぶ為の専用線だったんです。
その西側には現在では伺う事が出来ない貯木場が有り、大井川を使って運び入れたんでしょうか?


その詳しい内容に関してはまだ判明しておりませんが「横井軌道」が確かに有りました。

[PR]
by micmacbig | 2017-11-19 05:45 | その他の鉄道 | Comments(0)

大井川鐵道 居林駅跡を探る

以前五和在住の方からお聞きした「居林駅」ですがどうも異なる様なので色々探索してみました。
駅の存在は前述官報や千頭駅SL資料館の掲示して有る説明板にも記述されているので存在していた事は明らかです。
が、その位置を探るのは山と川に鋏まれた歩行困難な場所ですので歩いて行く訳にも行かず、列車の中から探索するしか無い
とんでもない場所です。

幸い鉄道線路には距離標が打ってあるのでそれを目安に列車から確認してみました。

先ずは、距離の計算からです。
官報に依れば分岐点から居林まで1.6マイルなので2.56kmとなります。
また、五和から分岐点迄0.5マイルですので0.8km
従って五和から居林は3.36km距離に有る事となります。
金谷から五和迄は5.0km故金谷からの距離は5.0+3.36=8.36kmの位置していたと思われます。

そこで、列車から動画として撮り帰宅してから再生しながら距離標を確認しました。
が、なんせゆれは大きいしi phoneでの動画撮影なので明確さに欠けます。
で思いついたのがスローモーションでの再生でした。
すると同速では見えなかった数字がややはっきりと認識出来ますね。
それは昔遊んだ45回転のドーナッツ板のEPレコードを33回転に落として聞いたのと類似します。
見えました。

先ずは8キロポストです。

f0212142_18183108.png

続いて8.1キロ
f0212142_18182860.png





8.2キロ
f0212142_18182962.png





8.3キロ
f0212142_18182954.png




で、8.4キロと
f0212142_18183035.png





YouTubeにアップしたのを静止画画像としてキャプチャーしたので時間の推移を認識で来ます。

この短い白い杭で3の所が8キロ300メートルの場所になります。
山側の方に孤を描く様に拡がっております。

また、この地点になると川に近くなる性か列車はギアを落とし減速します。
従って減速を感じたらああ、この辺に昔駅が有ったんだな〜と感じて下さいね。

そもそも。この居林駅は蒸気機関車の給水の為に作られた駅ですので乗客が来なくても大丈夫な駅と言う事になります。
当時、ここには水量豊富な沢が有り給水にはもってこいの場所だったんでしょう。
まだ開通前の明治時代の地形図ですが大井川に流れ込んでおります。

f0212142_18280538.png

まだまだ解明しなくてはいけない点が有りますが取りあえずキロポストを確認しましたと言う事で。

是非皆さんも大井川鐵道に乗車してこの居林駅を探索してみて下さいね。


[PR]
by micmacbig | 2017-11-17 18:30 | その他の鉄道 | Comments(0)

福用 高熊林道 木馬道

大井川鐵道の御立ち台で有名な福用の林道です。
第5御立ち台迄はすんなり車でも行けますがそこから先は昼なお暗き素人だと怖さをも感じる深い林道と化します。

f0212142_18040923.jpg

f0212142_18033969.jpg

f0212142_18032842.jpg


この林道が昔は山の木を切り倒し島田迄運ぶ為の木馬道として林業の隆盛に貢献しました。
今でこそ軽トラなら何とか入れそうな山道ですが当時は「ウサギ道」と地元からは称された道無き道を金馬という材木を運搬する
道?を造り人力で川迄下ろしたそうです。

先日地元で教えてくれた方がわざわざ書いてくれたスケッチです。
当然初めて聞く名前と見た物でした。

f0212142_18025035.jpeg
大変危険な仕事で組んだ金馬の隙間に落ちて材木にぶつけられて命を落とした方は多かったそうです。
その代わり給金も高く上手に川迄運べばサラリーマンの数倍の稼ぎが有ったとも聞きます。
福用の大井川流域には貯木場が有りそこに貯めて筏を組んで向谷まで運びました。

当然向谷に集積した木材は加工され島田軌道で島田駅迄運ばれ全国に拡がり島田は木都として繁栄した事は有名です。

帰路、島田の川越博物館に御邪魔して当時の金馬や切り出す為の道具の数々を拝見しました。

f0212142_18021825.jpg
尚、撮影の許可とプログへのアップの許可は頂いております。

写真に関しては一応この1枚とさせて頂きます。
是非拝観して下さいませ。
場所は
です。


重機やトラック等の無かった時代の人の手のみでの作業の大変さがひしひしと伝わって来ました。
其の金馬に付いて詳しく説明した書籍が販売されております。

f0212142_18023353.jpeg
ご興味有る方は是非とも本館の方で販売しておりますのでご一読される事をお勧めします。
定価は1200円でした。
島田軌道に関しても知らなかった情報、画像が転載されております。


[PR]
by micmacbig | 2017-10-15 18:13 | その他の鉄道 | Comments(0)

幻の居林駅

大井川鐵道がまだ千頭迄開通していない頃「居林駅」が存在していたとの情報で足を伸ばしてみました。
家山迄が1928年12月1日に開通でその翌日12月2日に廃駅となったとの事。
先ずはウェブ調査から
お馴染み官報からは開通時のデータが。
f0212142_02001611.png
そして家山迄開通しました。
f0212142_02002507.png
その廃止日に関しての記載は見出せませんでした。

当初は横岡から伸びていたと解釈して大井川流域に存在している筈と解釈してウロウロしましたが該当箇所を見付得なく
困惑していましたが、五和在住の方からお話を頂き現在の本線上に存在していた事を伺いました。
お話では国道沿いのガラス屋さんの麓との事。
空かさず行ってみました。

f0212142_02265994.png

f0212142_02240242.jpg

見れば茶畑の間に農道が有ります。
ここを下りれば線路に近寄れますね。

f0212142_02284586.jpg

f0212142_02295375.jpg



見れば言われた様な雰囲気も有ります。が、通り過ぎてしまう可能性100%の所です。
仮にここが例え貨物駅でもどんな使い方をされた駅だったんでしょうか?
ちょっと不明です。

f0212142_02245679.jpg

貨物駅と言えばお馴染みの「新川西駅」がうなぎの積み込みで有名ですがあそこは頷けます。

う〜ん ミステリーです。

まあ、ここが確かだと言う公的根拠は有りませんので単にここだと言う古老の話の範囲ですので。

福用迄の距離が2.5kmとの事ですので金谷〜福用間が12.3km
引き算をすれば9.8kmの位置に存在していたとの算数になりますが・・・・・

また、横岡分岐点から2.6kmとのデータも有りますが・・・・・・
f0212142_02333819.png
f0212142_02332982.png


基本的に線路沿いに歩く事は御法度なので行きようも無いです。
このガラス屋さんの所がそうだと言う根拠が欲しいですね。



[PR]
by micmacbig | 2017-10-07 02:35 | その他の鉄道 | Comments(0)