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謎のトロッコ路線 大倉組?

横井軌道を調べて行くうちに段々と左右に視点が拡がり本来の姿とは変わって行く事は良く有る事です。

木馬道を調べる為に購入した「木材から再生紙展」誌に興味深い内容が有った。
我が藤枝に大倉組の製材所が有ったとの事。
地図で見ると、現在の明誠高校の近隣で有る。
大井川上流で切り出した木材を栃山川から木屋水門を通じ現小川港まで運び海運で江戸まで運んだとの事。
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また「島田木材業発展史」に依るとそこから藤枝駅迄軌道と敷いて木材を運んだとの事。 
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これは、大変興味ある内容である。
が表面には出ていない内容で素有るので例に依って手探りで調べて行くしか無い。
近隣の古老に訪ねた範囲では知らないとの返事のみであった。
まあ、当然の事でしょう。

そこで、市役所にて古公図を紐解くとこんな図面が見つかった。
固有名詞は書かれてはいないが何やら怪しげな線(面)が有る。
一体これは???
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この地区は昭和30年頃の土地改良で物の見事に過去を埋没させた地区で何が何だか分からない地区である。
ちなみに法務居でも同様な図面を見たがかえって煩雑さを感じた。
此の図面は該当する一部故チンプンカンプンですが、南は栃山川まで此の線が通じ何やら軌道的な要素は醸し出している。
1946年の航空写真を見ると。この栃山川と木屋川との間に何やら工場的な物を感じる。
これが製材所の成れの果ての姿なのか?
立地的に見れば大井川から栃山川で此所迄運び製材して、両川に流し入れ水運で運び出したと考えられる。
すると、この南北に描かれている線は駅迄の軌道と考えても可笑しくは無い。
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Aの線が駅から伸びている県道。
Bがでは無いかと思われる里道。


製材所が何時頃存在していたかは不明であるが、
運ぶ要素も終了してその軌道が生活道路に変身する例えは駿遠線も含め多々存在する。
1946年以前のデータが無いので比較は出来ないが、明治年間は住んでいる方も希少の地域と考えられる。
そして、時代が進み生活道路が完成するとそこに人が集まってくるのは自然な姿である。

このBの道路を北に進んむと数軒の民家が有る。
よく見れば家々の西側には道が存在している。
が土地改良に依って現在ではこの道は消滅している。
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現在では無いが、1946年には有ったと言う事はそれ以前も有ったと想定出来る。
そして、この里道は変形はしているが栃山川迄行っている。

ここがトロッコ路線と断定は材料不足で言えないが思いたい!が心境でしょうか。




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by micmacbig | 2018-05-20 08:11 | その他の鉄道 | Comments(0)

「横井軌道」Intermezzo

Intermezzo と言うと間奏曲で本題とは全然関係が無いがまあ、個人の戯れ言と。
これが有名ですね。

https://www.youtube.com/watch?v=1V9kMKS9E2o
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さて、その本題だが結末を迎えたつもりの本軌道だがその後の精査で大井川まで軌道が続いていた様だ。
当初は大井川から貯木場に木材を集積してそこから加藤製材を経由して島田駅南側迄軌道が有ったと解釈していたが
スタンフォード大学提唱の地形図を見ると新たな軌道を認識出来た。

そして、土地宝典上では、
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加藤製材の南側の架線辺りから一つの道と思われる線が大井川迄存在している。
又この路線と思えるラインは加藤製材の南側で農林省の地と繋がる感が有る。
とすれば材木を運搬する為の何かと考えられそうだ。

当時の公図を紐解くと5356−3という地番で構成されている。
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これらの3つのラインは共通していると考えられる。

そして、「島田町誌」という郡誌に納められなかったデータを集積した資料を見てみると
この様な記述を見出せた。
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ここに森某という固有名詞を見つける。
今迄加藤製材と認識していたが新たなる展開と思える。
この森某はこの冊子に出て来るが同一かは不明で有る。
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当初軌道は現マルハンの北側の市道に沿って有ったと考えていたが、
これから推測するに駅側から来た軌道は製材場を通り抜け南側に抜けていたか
2本の別な軌道が有ったと想像される。

1962年の航空写真を見るとこのラインが認識出来る。
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改めて見直すと軌道は北側ではなく製材場の中に入り込んで切る様だが?
今後の課題です。
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by micmacbig | 2018-05-06 07:40 | その他の鉄道 | Comments(0)

八光山森林軌道 第3楽章

先にも記した様にこの軌道を認識したのは五和村の土地宝典からだった。
通常の土地宝典はアナログの書籍であるが今回の宝典はこちらのDVDに収録された宝典である。
金谷図書館にて見つけ係員から制作者を紹介頂きその制作者から購入した物である。
当然購入ですので対価は発生するが、これがこのお値段で良いの〜??と言うバーゲンか書くと言うかボランティア価格である。
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このDVDには宝典の他村誌や、貴重な写真の数々が収録され将に宝典である。

ご希望者は是非お尋ね下さい。

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ちなみに当方が所有しているのは相良の宝典です。
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by micmacbig | 2018-04-18 16:33 | その他の鉄道 | Comments(0)

八光山森林軌道 第2楽章

先日の精査でこの御立ち台からの山中に入る林道が「八光山森林軌道」で有った事が確定されたが、
改めて国土地理院の地形図を見直してみた。
当初は単に固有名詞を探すのみで見ただけだったが、改めて見直すと色々判明して来た。

先ずは明治20年の地形図です。
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大井川鐵道もまだ無い時で有る。
次に大正5年
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其の地形図に開通したばかりの大井川鐵道が補入されている昭和5年
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そして時は流れ昭和15年を見ると。
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高熊トンネル辺りからの光景に変化が見られる。

そして、昭和31年になると見慣れた現在の姿と化している。
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この昭和15年の地形図がキーマンである。
高熊トンネルから左の山中に伸びる線が見えるが、これを拡大すると
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軌道の軌とも読める文字と国土地理院の下記の地図記号らしき物を感じる。
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ここの文字と思われる物を改めて見直しました。
すると期待も込めてこんな風に見えました。
如何でしょうか?
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とすれば公的図面の国交省の地形図に固有名詞が称されている事となります。

これと先の五和村の土地宝典と照らし合わせると森林軌道で有る事は明白の理と感じる。
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そして昭和31年には言葉、記号とも存在しない事から軌道は存在し無い事となる。
これと、先の福用の地で伺った古老の話と合致する。
やはり、終戦間際の昭和19年に廃線となり其のレールは軍に没収されたと予想される。

何分駆け足での精査ですので不足点多々有ると思われますので他の情報有りましたらご連絡を宜しくお願い致します。





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by micmacbig | 2018-04-16 06:18 | その他の鉄道 | Comments(0)

八光山森林軌道

RM Ribraryの井川線の書籍により横井軌道を知ってその軌道を確かめた訳だが、同時に福用に「この「森林軌道」の名を見出し
追求してみた。
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その森林軌道は有ったらしいとの話は聴くが具体的な確証は掴めずのままであった。
地元でもこの古老なら何かを知って居るんではないか?と訪ねるも軌道は知らない。
木馬なら有ったよ。
との返事のみで有った。

横井軌道も一応解決して数ヶ月が経った先日新たな疑問が湧き出て現地に訪れる。
ネット上ではこの
が有りそれ以外は固有名詞すら無い状態である。


これは其の2であり、其の1と其の3が続いている。
が、此所でもその固有名詞は見出せていない。

そんな中興味ある山に入る道が有り、木馬で木材を運び出していたとの話を聞く。
かれこれ60年位前の事らしい。
これが軌道なのかと五和村の土地宝典を紐解くと今迄見なかった五和村全図にこの森林軌道と固有名詞を見出した。
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これは確かであると確信して島田市役所にて古公図を紐解くがそこには軌道の名はおろか
道としての印も無い。
有るのは水路としての水色の線のみである。
現在はそこはハイキングコースとして整備されていて当然歩ける。
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が当時は山の斜面を使っての木馬道だったので道では無かった事となる。
公図には道としては御立ち台に向かう道しか描かれていない。

そこで良く図面を見てみると軌道はそのハイキングコースより更に上から伸び将に御立ち台の所から山中に入っている。
この道は、あのグログの道すがらである。

そして、昨日福用の地にて大正14年生まれの古老からこの御立ち台からの道が軌道であったとの証言を頂いた。
その軌道は昭和の初期頃より駆動して終戦間際の昭和19年頃迄有ったとの事。

これでは、多くの現役者が知る由も無い。
現在その軌道に関しては彼の他には確認出来ないと思われる。
軌道は大井川鐵道に沿って進み福用駅の手前で其の役を終えた。
其の彼が使用した木馬が現在も存在していた。
恐らく博物館以外には無いんではないでしょうか。
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何時迄もお元気でいて下さい。


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by micmacbig | 2018-04-14 06:11 | その他の鉄道 | Comments(0)

フェニックス 大鐵

大井川に沿って走っている大鐵は風光明媚な大井川とその反面水害との戦いでした。

昭和44年 駿遠線の廃線1年前の8月 台風7号により大打撃を受けました。
特に塩郷駅は川面に至近距離でしたので土砂を浚われ線路は宙づりとなってしまいました。
その間乗客は歩いて乗り換えて不便したとの事でした。
この様な事はどの時代、地域にも起こった事ですが先日当日の静岡新聞を見る機会が有りましたので
忘れてはいけない歴史のひとコマとして共有したいと考えます。

このカラーでの写真です。
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大井川の怖ささえも伝わって来ます。

線路は宙ぶらりん
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カラーと同様 線路は埋没
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鉄道ピクトリアル誌の記事です。
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が、今被害にも負けずに復旧を目指します。
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これらの歴史を克服してトーマス号に繋げました。

これからも頑張って下さい。


赤カレーもお勧めですよ。
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by micmacbig | 2018-03-26 06:27 | その他の鉄道 | Comments(0)

友田信号場 第2楽章

信号場に関して地元の古老から重要な証言を得て、友田信号場が有った場所の特定が出来ました。

第1楽章にて精査した所がやはり信号場の位置でした。
只、残念なのは公的データで正式に信号場としての固有名詞は得られませんでしたので、完全に!ではないですが
様々なデータに依ってこの場所を確定致します。
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お父上が務めていたと言う古老は現地迄案内してくれて信号場はこの辺で詰所がこの辺でとしっかりとした口調で説明されました。
お話から3つの建物が有り、東から信号場本屋、寝泊まりなんかする詰所。そして保線小屋が有ったらしいです。
信号場の廃止により信号場本屋、保線小屋と解体され昭和の終わり頃迄詰所は存在していたとの事です。

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で、其の詰所の基礎部分が何故かは知りませんが現在迄残っております。
それが先般のコンクリ物です。
草を掻き分け見てみると、角の形状をしており益々これから建物の存在が確定出来ます。
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まだまだ、不足している部分が有りますが今後の宿題としてです。



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by micmacbig | 2018-02-15 06:00 | その他の鉄道 | Comments(0)

友田信号場 第1楽章

明治22年に国鉄が開通し、
この金谷〜堀之内(菊川)間は約10‰の高低差が有り尚かつ菊川の流れに沿ってS字カーブが続き難所と言われた場所と言われていた。
重い蒸気機関車は人間の歩くのと同じ位のスピードに落ちて後ろから援軍の力を借りないとトンネルを潜れない状態だった。
そこで、中間地点辺りに平坦地の秋常段に明治40年に友田信号場を設立して遅い蒸気機関車をスイッチバックで待避させダイヤを安定させました。
との歴史的記述が有ります

秋常踏切の菊川方面に線路に沿って待避路の跡が列車からも確認出来る程残っております。
この待避路は約500m程有る西端で行き止まりとなります。

信号場は秋常踏切の東側有名な大カーブの手前に有りました。
10坪位でしょうか?4人程の職員さんが従事していたそうです。
電化が始まり必要性の無くなった信号場は昭和の24年に廃止となり、建物はそのまま昭和の50年代迄残っていたと聞きますが
正式な解体日は不明です。

又下倉沢小字秋常段なのに友田と命名されたのも不明ですね。
恐らく倉沢の方が知名度が高い様な気がしますが・・・

河城村郷土史の一文です。
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公図を見てみましたが残念ながら固有名詞は見出せませんでした。

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が、近隣の古老の方々からの証言でこの地に信号場が有った事は確認で来ました。
其の一人のYさんのお爺さんが信号場にお勤めで良く行った事が有るそうです。
明治の地形図です。
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中央の曲線は秋常踏切です。

現地入りをしてみました。
茶畑横の赤道の眼前にしっかりと用地杭が歓迎してくれております。
まあ、何と言っても用地杭が正式な証となりますね。
東側の用地杭

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其の向こう側には線路が。
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その存在は知っていないだろうJR電車が
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西側はこんな感じ。
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並んでいるコンクリは分かりませんね。

線路沿いの黄色の用地杭。
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信号場とは関係無いですが昔はここにも踏切が有った様です。

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この切れ目が関係しそうですね。
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待避路の手前にも用地杭がお出迎えです。
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待避路跡の所ですが何か関係が有るんでしょうか?
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そしてスイッチバックさせた待避路跡です。
また、この工場の場所辺りに信号場の官舎が有った様ですね。
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そして、極め付きですが信号場の建物の遺構と思われます。
但し確認は取れていませんのでこんな物が此所の有るが・・・の感です。

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さてさて、果たしてその実態は・・・
まだ調査し初めですので足りない点異なっている点有ると思います。
お気づきの方はコメントをお願い致します。


詳しくは鉄道ビクトリアル790号の大庭先生の論文が一番参考となります。
それと、堀之内軌道でもお世話になった同じく大庭先生の「菊川地域鉄道史」が詳しいですね。



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by micmacbig | 2018-02-12 03:41 | その他の鉄道 | Comments(0)

2本の沢

居林駅を形成している2本の沢を見てみました。
凄い幼稚な線ですがあくまでこんな感じと言う事で。

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悪沢暗渠が8K400辺り
上の沢開渠が8K600辺り



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by micmacbig | 2017-12-28 06:55 | その他の鉄道 | Comments(0)

「居林駅」その後

場所の関係でなかなか辿り着かない大井川鐵道「居林駅」ですが、列車に乗って確かめた以外は対岸からの撮影以外は不可能で有る事が
判明した。
線路上の歩いて行けばこれは簡単ですが大鉄ファンとしては出来ない芸当です。
対岸の神座側から川渡りして行けば到着出来ない事は無いが腰迄有る長靴使用でないと普通の長靴ではいくら水量が少ないこの時期でも
無理でした。
国道側からひよどり越えもどきで試みても他人様の茶畑に侵入せざるを得ないので行く事が可能としても線路同様出来ない芸当ですね。
歌の文句ではないが「もしも 僕の 背中に〜 羽根が 生えてたら〜〜」の心境です。

横岡方面から川岸沿いで行けそうでは有りますが竹薮の群生でそこには猪さん達が住み着いているとの事。
人が入らない場所で竹薮ですのでタケノコは食べ放題ですので将に彼らにとっては天国の様な所です。
聞くと横岡の地区にも出現するとか。

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対岸からの駅跡です。
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其の全景です。
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すると。千頭行きのトーマス君がやって来ました。
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ちょっと分かりづらいですね、アップしてみます。
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473側に回ってひよどり越えの場所です。
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開通前の地形図です。
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土地宝典での図面です。
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473上です。この電柱が目印でしょうか。
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下に行く作業用の通路らしき物が有りました。
最近は使用されていない様ですね。
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ゼンリン地図にも表われている2本の沢です。
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金谷側の沢。埋め尽くされております。
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悪沢暗渠と呼ぶらしいです。

神尾側の沢
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上の沢開渠との事。
これが出口の様です。
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千頭の資料館に有る縦断面図を見るとこんな感じでしょうか。
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何時になるんでしょうか?行き着けるのは???



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by micmacbig | 2017-12-24 16:10 | その他の鉄道 | Comments(0)