<   2018年 05月 ( 4 )   > この月の画像一覧

大倉組製材工場 第3楽章

路頭に迷った大倉組であるが市役所からの古公図で該当番地を紐解くと現在の駅からの県道の位置となる事が判明した。
従って南北伸びた白い線はこの県道を表している線となる。
その間の場所には赤道は記載されていないので取りあえず矛先を養護学校に絞り精査してみた。
かの場所は、近隣の古老の話し、「静岡県木材史」と合致する。
そして、南側に有る新川は島田市に入ると「芝地川用水」として現在も其の名が残されている。

f0212142_19091743.png
ここで、何かが出るかと法務居に出向き紙図をを見出す。
すると、これが何を示すのかは不明であるが該当地区から栃山川を超えて北に伸びる赤道が有る。
軌道跡と考えても可笑しく無い線である。
f0212142_19135145.png
赤道と赤道の間の栃山川上には橋とも解釈出来る白い線が有る。


が、1646年以降の航空写真を見てもこの地点での橋的な物は確認出来ない。
それも当然と思われる。明治の中期に工場を閉鎖して軌道も用途無く廃線となったので橋も撤去した事は
用意に想像出来る。
当然、何人かの方にお聞きしてもこの辺りに橋は無かったよの返答であった。
                   
1946年

f0212142_19163718.png

1962年
f0212142_19113984.png
1988年
f0212142_19113995.png
1946年の→は当初橋と思い込んだがどうも異なる様だ。

物的証拠の無い過去の物を蘇らせるのは推測論や仮定法をの積み重ねとなる。

市役所関連でも、法務局関連でも当然近隣関連でも知る人はいないこの将に幻の軌道である。

従って偏在の時点では未解決の軌道で有る。


[PR]
by micmacbig | 2018-05-25 19:20 | その他の鉄道 | Comments(0)

大倉組製材工場 その2

判明しないが今回ものテーマであるが、本日「東海パルプ 60年」誌を紐解いてみた。
まあ、木材史含め元データは大体一緒なので書き方も類似しているのは致し方が無い。
この60年誌に依ると大倉はかの地に8町歩の土地に製材場を建設したと言うからその広大さは恐るべきである。
1町歩が3000坪故2,4000坪なる広大さである。
地目は田であるので単価は安いが仮に坪1万円としても土地代だけで2億4千万もの投資だ。
f0212142_17501210.jpg


果たして、この製材場は一体何処に有ったのか?
近隣の古老は現在の養護学校の所と説明してくれた。
確かに栃山川と新川に鋏まれ、静岡県木材史とは合致する。
f0212142_17500587.jpeg
仮にこことすると、軌道は一体何処に。
古公図の線はもっと東である。
出所が同じと思える「木材から」誌と「60年」誌は
栃山川と木屋川の交点の東を示している。
これは公図とも合致していると思える。
f0212142_17553332.jpeg
(尚、赤線は単なるメモで意味は無いです)

タイムマシーンが欲しい物だ。



[PR]
by micmacbig | 2018-05-23 17:58 | その他の鉄道 | Comments(0)

謎のトロッコ路線 大倉組?

横井軌道を調べて行くうちに段々と左右に視点が拡がり本来の姿とは変わって行く事は良く有る事です。

木馬道を調べる為に購入した「木材から再生紙展」誌に興味深い内容が有った。
我が藤枝に大倉組の製材所が有ったとの事。
地図で見ると、現在の明誠高校の近隣で有る。
大井川上流で切り出した木材を栃山川から木屋水門を通じ現小川港まで運び海運で江戸まで運んだとの事。
f0212142_07351503.jpeg

また「島田木材業発展史」に依るとそこから藤枝駅迄軌道と敷いて木材を運んだとの事。 
f0212142_07420935.jpeg
これは、大変興味ある内容である。
が表面には出ていない内容で素有るので例に依って手探りで調べて行くしか無い。
近隣の古老に訪ねた範囲では知らないとの返事のみであった。
まあ、当然の事でしょう。

そこで、市役所にて古公図を紐解くとこんな図面が見つかった。
固有名詞は書かれてはいないが何やら怪しげな線(面)が有る。
一体これは???
f0212142_07474486.jpg
この地区は昭和30年頃の土地改良で物の見事に過去を埋没させた地区で何が何だか分からない地区である。
ちなみに法務居でも同様な図面を見たがかえって煩雑さを感じた。
此の図面は該当する一部故チンプンカンプンですが、南は栃山川まで此の線が通じ何やら軌道的な要素は醸し出している。
1946年の航空写真を見ると。この栃山川と木屋川との間に何やら工場的な物を感じる。
これが製材所の成れの果ての姿なのか?
立地的に見れば大井川から栃山川で此所迄運び製材して、両川に流し入れ水運で運び出したと考えられる。
すると、この南北に描かれている線は駅迄の軌道と考えても可笑しくは無い。
f0212142_07564719.png
Aの線が駅から伸びている県道。
Bがでは無いかと思われる里道。


製材所が何時頃存在していたかは不明であるが、
運ぶ要素も終了してその軌道が生活道路に変身する例えは駿遠線も含め多々存在する。
1946年以前のデータが無いので比較は出来ないが、明治年間は住んでいる方も希少の地域と考えられる。
そして、時代が進み生活道路が完成するとそこに人が集まってくるのは自然な姿である。

このBの道路を北に進んむと数軒の民家が有る。
よく見れば家々の西側には道が存在している。
が土地改良に依って現在ではこの道は消滅している。
f0212142_08061443.jpg
f0212142_08080432.png
現在では無いが、1946年には有ったと言う事はそれ以前も有ったと想定出来る。
そして、この里道は変形はしているが栃山川迄行っている。

ここがトロッコ路線と断定は材料不足で言えないが思いたい!が心境でしょうか。




[PR]
by micmacbig | 2018-05-20 08:11 | その他の鉄道 | Comments(0)

「横井軌道」Intermezzo

Intermezzo と言うと間奏曲で本題とは全然関係が無いがまあ、個人の戯れ言と。
これが有名ですね。

https://www.youtube.com/watch?v=1V9kMKS9E2o
f0212142_07054802.png
f0212142_07105600.png
f0212142_07120855.png

さて、その本題だが結末を迎えたつもりの本軌道だがその後の精査で大井川まで軌道が続いていた様だ。
当初は大井川から貯木場に木材を集積してそこから加藤製材を経由して島田駅南側迄軌道が有ったと解釈していたが
スタンフォード大学提唱の地形図を見ると新たな軌道を認識出来た。

そして、土地宝典上では、
f0212142_07140302.jpg

加藤製材の南側の架線辺りから一つの道と思われる線が大井川迄存在している。
又この路線と思えるラインは加藤製材の南側で農林省の地と繋がる感が有る。
とすれば材木を運搬する為の何かと考えられそうだ。

当時の公図を紐解くと5356−3という地番で構成されている。
f0212142_07164967.jpg
これらの3つのラインは共通していると考えられる。

そして、「島田町誌」という郡誌に納められなかったデータを集積した資料を見てみると
この様な記述を見出せた。
f0212142_07203792.jpg
f0212142_07214576.jpg

f0212142_07204326.jpg

ここに森某という固有名詞を見つける。
今迄加藤製材と認識していたが新たなる展開と思える。
この森某はこの冊子に出て来るが同一かは不明で有る。
f0212142_07242883.jpeg
f0212142_08004671.png
f0212142_08003647.png




当初軌道は現マルハンの北側の市道に沿って有ったと考えていたが、
これから推測するに駅側から来た軌道は製材場を通り抜け南側に抜けていたか
2本の別な軌道が有ったと想像される。

1962年の航空写真を見るとこのラインが認識出来る。
f0212142_07360897.jpg

改めて見直すと軌道は北側ではなく製材場の中に入り込んで切る様だが?
今後の課題です。
f0212142_07391871.png







[PR]
by micmacbig | 2018-05-06 07:40 | その他の鉄道 | Comments(0)