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庵原軌道 最終楽章 ラーメン食べて金谷に到着

バイパスから終点「金谷」迄はバス通りそのもので興味も湧かずにいましたが、改めて行って来ました。

現在の人口でも利用者は居るんだろうか?と首を捻りながら進むがまず無理でしょうの感である。
で金谷のバス停に着く。
近隣で聞き込みをするが、やはり知らないの声が殆どであった。地元でさえそうだから街場では当然ですね。
兎に角言えるのは現在乗車した方は別な世界ですのでお父さんから聞いたとかお爺さんから聞いたが一番近い話となる。
見た事の有る方が100%話しても聞き手には80%しか伝わらない。その次に方に話すと64%に減少する。
全ての人が子に話した訳でもないのでその比率は更に下がり、形は変容して行く。従って、現在聞き込みに行くととんでもない事を話す方が居るのも無理は無い。
公式な資料が皆無的なこの鉄道ですので有るのは例え僅かでも多くのお話しを聞いてそこから真実を見出すしか方法は無い。

何処何処の書籍にこの様に書いて有ったからと言ってそれを即信じるのも問題が有る。
「なになにである」と断言する表現には必ずその引用とか証明が必要である。
それらを記載していなく断言しているのは「見て来た様な**」の例えの如くと思われる。

その1例が「静岡県**史」であろう。
如何にも正確な書と思われる題名が幾多の間違いを引き起こしている。
「辻の生い立ちと今」「辻小学校100年史」「金谷の里」・・・

歴史を辿るにはその時点に戻って確認する事は物理的に不可能である。
従って幾重にもデータ、資料を入手して考察するかしかない。
歴史論は推測論であるとと言っても過言ではないと思っている。

断定要素が薄い場合は**と思われる。とか**近隣とかの一種の曖昧さは必要条件となる。
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このラーメンで最終楽章のフィナーレを迎える事とする。
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「ラーメン終止」



by micmacbig | 2018-08-30 05:58 | その他の鉄道 | Comments(0)

庵原軌道 第4楽章 勾配を感じながら西久保へ

秋葉道を段々と上り勾配を感じながら登って行くと東側に「矢倉神社」が有る。
ここは草薙神社とも関係が有り、かの「日本武尊」を奉っている。
そして、その北側には辻の地名ともなった「矢倉の辻」の存在が有る。
見れば狭っこましい場所であるがここを起点に東海道、港への道、庵原郡衛方面への道と重要なポイントとなす。
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軌道はその先、5叉路にぶつかると北東方面に進んで行く。ここに「秋葉道」の駅が有った。
その道を更なる勾配を感じながら進むと、新幹線が見えて来る。
この角にスーパー「サカマル」を見る。その昔は「鈴木製材」であり、その北西側に「西久保」の駅が有った。
恐らく、公園となっている辺りと思われる。
大きな柳の木が有り、切符売り場や待合室が建っていたと言う。その傍には給水施設や灰捨て場も有ったと言うのでかなり大きな駅と察せられる。
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さて、此所迄は現在の道を進んでいた事は確証が取れているが、ここから明神に向かっては現道と記載されている物を多く見る。
当初は私もそうだと信じきっていた。(知らなければ当然の理である。

ここで辻在住のK氏に知り合い案内をして頂いた。
土地宝典を見て行くとどうもそうでは無さそうな感が有り大雑把な線を引いてみるとかなり地形図の路線は海側に弧を書いて居る様である。
「袖師村沿革誌」に依ると、字笛吹、諏訪上、舞台大屋敷を通り神明に向かうとの表現が有る。宝典には当時の字が記載されているので
見てみると何となく地形図の路線の様な弧を感じる。
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軌道は公園から現道とは離れて進みこども園の海側に沿って進み程なくして左にカーブしながらポートガーデンの駐車場辺りから東公園と進み袖師中学校の裏門辺りに出て西久保121の駐車場辺りに進んだ。
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この辺は当時は畑ばかりであり目印の無かった地域である。
それ故に都市計画で住宅地と化して廃線路は家々の下敷きになった良く有る地域でもある。
従って廻りから推測するしか無い。
アバウトですがこんな感じでしょうか?
右側の写真は1961年の航空写真です。
何となく家々の並びがそれを感じさせます。
(私が感じるだけかもですが・・・)
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ここに「神明前」駅が有った。
車では左程感じないが歩いてみるとかなりの勾配を感じる。
ここら辺りは「安倍鉄道」を彷彿させる。

by micmacbig | 2018-08-27 06:00 | その他の鉄道 | Comments(0)

庵原軌道 第3楽章 軌道、東海道を超える。

江尻駅を目出たく超えた軌道は地形図の文印の海側を通っているが此所に学校が有った事は表面には出ていない。
辻小学校が当時尋常高等小学校としてこの地域に有った事は近隣からの情報で知り得た。
が、教育委員会、辻小学校にもその正式書類は存在していない。
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ただ、「辻の生い立ちの今」誌には現在の静柑連の場所に明治35年に設立されたとの記載が有るが、その根拠は不明である。
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現存しているのは辻村誌に辻村1093番地にとの記述だが御多忙に漏れず法務局でもこの番地では判明不可能である。
これらの事から現在の辻1丁目4番地の現在は駐車場となっている所に旧辻小が有った事が判明する。
又、不鮮明では有るが学校の南側に線路と思える写真が辻の生い立ち誌の出ている。
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軌道は此所から左にカーブしながら、現在ソフトバンクの有る辻3丁目の交差点を渡り秋葉道に侵入する。

当初、この横に有る「みのや」さん横の小路と思い込んでいたが、様々な見解によりこの小路は古くからの参道であり軌道跡では無い事が判明した。

明治43年頃に完成したこの秋葉道は当初は現在の半分程の狭さで軌道はその辻側を併用軌道として走っていた。
余談であるがこの秋葉道の東側は田圃ばかりで新しく街区が形成された。
従って現在通りから眺めると左右の違いを感じさせる。
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ここから軌道は段田の勾配を感じながら5叉路から庵原に向かって行く。



by micmacbig | 2018-08-26 07:16 | Comments(0)

庵原軌道 第2楽章 田圃の中を軌道は進む

江尻東3丁目の「大花」辺りから進んでいたと言うこの庵原軌道で有るが該当地番にその固有名詞が見出せないのに何故に其の様な表現が流布したのかが疑問である。
人々の伝承で恐らくあんな辺りと思われるの表現が一番手近なこの「大花」を示したんだろうか?
大花としては良き宣伝になっている。

路線で判明しているのは国土地理院発行の地形図と公文書と言える辻村誌の絵図が唯一である。
地形図から分かる事は殆ど真っすぐ進み江尻駅を過ぎた頃から左にカーブして旧東海道を横切り5叉路方面に進んでいる。
で重要ポイントとなるのが文印の海側を進み左に曲がる。
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そして、辻村誌から省線の直ぐ左側に「軌道会社」が有り、地形図と同じ方向に進んでいる。
この線は、跡から加筆されたと思えるが別の図面には「庵原軌道」の固有名詞が記載されている。
これらからしてこの線が「庵原軌道」と断定出来うる。

絵図からは道と区画の線形が描かれていてこれが現在の駅前銀座のアーケードの形と類似している。

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土地宝典の図面に分度器を与え角堂を見てみると、当方が予想している地点から将に駅前銀座と思われる。
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これを「大花」の場所に当ててみると角度が開きすぎる事になる。

そして、地形図から旧東海道と江尻駅との距離関係を見てみると駅迄4に対して軌道は3の場所を通っている。
これは駅前銀座からの位置に合致してさつき通りとは異なる事が判明する。
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これらから軌道は大花の省線よりの(当方は松乃寿司)隣地から駅前銀座を走って居た事が確定出来る。
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by micmacbig | 2018-08-26 06:04 | Comments(0)

素晴らしい高校生達

12日に行われた阿形先生の軽便展示会に特別コーナーとして、先頃の高校生放送コンクールで素晴らしい成果を成し遂げた浜松市立高校の放送部の生徒さんが
作品製作に当たっての大変さとか考えた事、それに伴っての過去の鉄道「駿遠線」に対する愛情等を話してくれると言う今迄に無かった素晴らしいトークショーであった。
著作権の関係でその映像を写す事は出来ないが幾多の内容を5分と言う超短い時間に纏め上げる事は困難の一字と想せられる。
起承転結を構築してストーリーを纏め上げ素晴らしい作品であった。
担任の先生の指導も同然であるが,何より自らがテーマを決めそれを追求してのデータの収集、そして纏め上げる。
将に賞賛の言葉しか無いですね。
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これを礎として放送界デビューを果たして頂きたいと願うばかりである。
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終了後、I氏、N氏と共に御前崎の名店「味わい亭」にてラーメンを頂く。
私は辛口とんこつラーメン辛さMAX ノーマルを食べてないので比較は出来ないが中本の辛さとは別世界の辛さである。
出汁がしっかり効いているので美味さの中に辛さが見え隠れする絶妙とも言える味のバランスと言える。
ボリュームも有り大盛りにしなくて良かったと感じる位です。
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食後、桜が池の用地杭を腹ごなしも含め帰路に着いた。
充実した御前崎入りでした。

by micmacbig | 2018-08-15 06:53 | 駿遠線関連 | Comments(0)

第1楽章 いほはらへの道のりはイバラだった。 

明治中期になると雨後の筍の様に省線目指して軽便鉄道が網の目の様に発展したのは駿遠線同様である。
庵原郡の衆議院議員だった肥料会社経営で衆議院議員でもあった西ケ谷は我が村にも鉄道をと有志を募り晴れて江尻駅から庵原金谷までの軽便鉄道を建設した。
が、個人経営の様な小さな会社故資金繰りが困窮して僅か3年弱で解散した超短命の軌道で有った。

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この田舎と言う事と超短命と言う事で正式な資料が殆ど存在していない事でも有名である。
大きくは清水中浜町(現在では江尻東3丁目)から東進して庵原に向かった事は様々な記録が有るが果たしてその正確なルートは不明のままであった。
生まれ故郷と言う事も有り多少の地理感は有るが何と言っても庵原郡辻村の時代である。
ましてや1世紀にも遡る時候であるのでその存在さえも知らない方が殆どであった。
この辺は前回の大倉組のトロッコ路線と掻痒で有るが・・・



で、様々な資料を集取して調査に乗り出す事にした。
先ずはアナログ調査であるが当然の事ながら知っている方も居らない状況の中、辻町のお酒屋さんで大姑さんから隣りの小道の所を走っていたと聞いた事が有るとのお話を頂く。
近隣で何件か伺うが矢倉の大通りと聞いていたと話す方も有った。
何の道ご自分の目で見たからはこの世には居らないので何処迄正確に聞いたかが問題となる。

鉄ピク誌に山崎氏が論説を投稿しているが数有る解説の中で一番正確で詳しいと感じる。
その文中各々のポイントの住所を記載してあるが当然当時の住所でありその住所を法務局で分析しても判明しない位でなので将にお手上げである。
従って仮定法を積み重ねて行くしか道は無い。
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先ずは起点とされている割烹「大花」で聞き込むが聞いた事も無い・・・
向かいで聞き込むがこれまた聞いた事が無い・・・・・
と有るホームページに写真屋さんその辺を通っていたと聞いたとされる写真屋さんも代が変わったのか知らない・・・・
将に八方ふさがり状態だ。

そんな中「辻村誌」という公文書の中に絵図を見出す。
そこには「軌道会社」との固有名詞が記載されていて大凡「大花」辺りを指していた。
そこから、点線で軌道が描かれ辻の酒屋さんに教えてもらった小道と思える所を抜けて矢倉さんを右に眺め秋葉さんから庵原に向かっている。
これは国土地理院発行の地形図と同じ形状と思える。

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by micmacbig | 2018-08-09 18:47 | その他の鉄道 | Comments(0)